私――――【浅野 光】、17歳は自分で言うのも何だが、中途半端な人間だ。

しかも最近流行っているからと言ってハードカバーの本を買い、ジュースを傍らに置いて文章に目を巡らすも、何かの拍子にジュースを倒してしまって本がびしょ濡れ、その後始末の間に読む気も無くし、古本屋にも売れないので名ばかりのそれが棚に押し込まれ、結局教養も感動も得られぬまま時間と財だけを浪費するような救いようの無いタイプだ。

さらに中途半端という意味では学力や運動能力に至る全ての分野でもそれに当たると自負しよう。

なんとかその私の「中途半端」から逃れられているものがあるとすれば、生まれ持って授かった、学校の男子に「Aマイナー」と格付けされる容姿ぐらいのものか。

何がマイナーなのか、そもそもアンタ達はマイナーの意味を知っているのかと首根っこ掴まえて頭をガックンガックンさせながら聞いてみたいものだが実行に移さないのは正常な人間の思考能力あってのこと。

まぁ、自分はそれなりに常識を知り、正常な判断が出来ることを誰かに知ってほしいだけなんだけどさ。





世界にはきっと人を上手く使う人と上手く使われる人っていう確たる2つの性質があって、私はその後者に当たるんだろうね。

なんせ中途半端に良い人と悪い人と交友関係を持っているものだから、先生受けはあまり良いほうじゃないわけで。

だからクラス1の秀才と名高い【秋山 杏】が、学校の廊下に常備設置されている消火器を「故意に」蹴飛ばし、何とピンが抜かれていたそれが、火事でもないのに消火器が消火器であるが故の役目を果たそうと奮起して、廊下一面をピンクに染めるという大惨事が起こったとしても、犯人扱いされるのは傍らにいた私なわけで。

教師受けの良い秋山の野郎は「浅野さんは悪くないんです。私の不注意で・・・」と先公の株率上昇に走るし。何、このインサイダー取引。私の株価は暴落中ですよ。

その後私だけが掃除を命じられ、話のネタにされ、不幸にも消火器の粉を吸い込み気分が悪くなった生徒が続出し、いたたまれない雰囲気の中で授業を受ける気にもなれず通学路を反対方向に歩いている。

ちょっとこの理不尽さ、どうにかなりませんかね?

せめて無実の人が有罪にならない世界に・・・せめてってこれ、かなり希望が高い気がする。

どうせなら私の中途半端さを・・・ドラゴ○ボールでも探してみるかな。

と、バカなことを考えながら、商店街を抜けて駅前に出ると、そのすぐにある交差点の信号で足が止まる。

何故か? 赤だからに決まってるじゃん。

「(ここ長いんだよなぁ・・・)」

通称「新曲信号」。由来はこの信号で待っていると脇にあるCDショップの有線が聞こえ、その一曲が終わる頃に青になるからとかそうじゃないとか。

昼間でも人通り・車通りが多いから信号無視もできないし。

まぁ実際、4,5分も待っているかと聞かれれば絶対待ってないんだけど。

だからそういうわけで、今流れているこの音楽を歌っているのも、きっと最近デビューした歌手だったりするんだろうね。誰だか知らないけど、頑張れ。

「田村・・哉・・・・・・を・・・・・万・・・・・」

有線のBGMのさらにBGMに、隣で携帯電話に語りかけている男の人の会話が耳に入ってくる。少しの間そのまま言葉を交え、携帯を閉じる。

ふぅ、と小さく息をつく男はスラリと長い長身で、スーツで身を包み、長い黒髪を無造作に投げ出し、そして

「(美形)」

と、心の中で呟かせるほどの容姿を携えていた。まるでTVで見るアイドルを間近にしているような感覚だ。

見惚れていた私の視線に気付いたのか、彼の顔がこちらを向く。すると彼は「何か?」と無言と視線で訊ねてくる。その身に纏う空気と仕草に心臓が高鳴る。

「あ・・・・信号長いなぁ、って」

いや、それなら信号見てろよ私。明らかに不自然だから。

「そうだね・・・・・・でも」

しかし彼の方はそれに、大して疑問を抱かなかったのか、信号へと視線を移して言った。

「すぐに変わる」

どこか楽しげな、私の心を打ち震わせるには十分な微笑。

そして信号は魔法をかけられたかのように瞬時に赤から青へと変わり、止まっていたものは歩き出す。私達を除いて。

「今の、どうやったんですか?」

言ってから気付く。この問いが何の答えを生むことのないものということに。この人はきっと私が待つ前からいて、大体このぐらいだろうと当たりをつけて言ったんだ。

「(でも)」

何故か私の心はやりきれない、それが人為的なものであるかのような感覚に陥る。

信号が「何で変わるか」など小学生でも知っている。それが一定のシステムに従って働いている、などという説明が小学生に出来るかどうかはともかくとして、それは世界的に「一般」だ。

でも今私は、彼が行ったのはそう・・・冗談抜きで魔法に近いような、そんな錯覚を感じたのだ。





「【時間金銭取引法】」





「なんですか、それ?」

案の定というべきか、男は意味深な笑みを湛え、一歩足を踏み出し、そのまま横断歩道の白い所だけを踏んで進む。

ただ単に彼の歩幅が白だけを踏むのに適当だったというのは言うまでもない。

私もその後を付くようして歩く。白と黒の両方を踏みしめながら。

「去年の春頃公布された新憲法。文字通り、【時間】を【金】で【買える】」

それを理解するのに私は数秒時間を要し、理解した頃には横断歩道は渡り終え、彼の足も止まっていた。

「・・・・そんな憲法、私知りませんよ?」

そりゃそうだ、と男は肩を竦めたアメリカンなリアクションを取ると、一拍置いて口を開く。

「国のお偉いさんが、国のお偉いさんのために作った憲法だからな。しかも」

男は白い歯を剥き出しにして笑う。

「公には公表されていない」

「は?」

公にされていない憲法なんてあるの? その私の思考を読み取ったかのように、彼はうんうんと頷く。

「今現在、一般的な日本国憲法には11の【章】があり、103の【条】がある。この時間金銭取引法は10章の第109条になる」

「ちょっと待って。それじゃあ数が・・・?」

「まだまだ公にされていない憲法があるってことさ」

笑みを崩さずに、自分の宝箱の中身を自慢する子供のような無邪気さで、続ける。

「公にされていないほとんどの憲法がこの10章に追加されている。何故だか分かるか?」

「・・・・・」

「10章っていうのは【最高法規】っていうのを示した場所。つまり、それは天皇によっても揺るがすことの出来ない砂漠のオアシス、戦場のど真ん中にある安全地帯みたいなもんだ」

「・・・・・」

「何言ってんのお前? って顔してるな」

「当たり前です」

心の狭い人が見たら確実に警察呼ばれるって。それに時間が買える? 「時は金なり」って言葉知ってるの?

顔がイイからって何言っても許されると思ってるのかも。

「まぁ、そう思うのが普通なんだろうな・・・・・じゃあ、論より証拠♪」

しかしへこたれる事無く、彼は後を見る。

これで最後だと、私も同じ方向を向く。

「・・・ウソ」

論より証拠、良い言葉だね。秋山にも言って聞かせてやりたいよ。

そこはある意味暴動に近い現象が起きていた。

新曲信号の横断歩道を挟んで車が長蛇の列と言っても過言ではないぐらい犇めき合っている。

「かれこれ10分。あの信号は一度も変わっていない」

男は得意げに、満面の笑みと共に私の顔を覗き込む。

「何故なら俺が信号管理局職員【田村 拓哉】の時間を一時間だけ買い取ったからだ。田村氏はこの一時間、俺の言うことには必ず従わなければならない。だからその権利を使って信号を青に変えさせている。そろそろ赤にしてやらなきゃ、並んでる車の人が可哀想だけど」

そう言うと携帯を取り出し、いくつかの動作の後、通話ボタンを押す。私はそれを風景としてでしか見ることが出来ずにいた。

まさか、本当にこんなことが可能なのだろうか。未だに信じられない。

「ほら、赤になる」

彼がそう言うと、新曲信号は瞬く間に赤を示し、車は気のせいか憤りを露にしながら発進する。

「どぉ、信じてくれた?」

ケラケラと笑いながら訊ねる彼は周りの目も気にせず、やはり笑い続ける。



それが「時を買う男」との初めての出会い。







俺――――【徹】、19歳は国立大学の院生。ファーストネームは事情を考慮して伏せさせていただこう。

知ったところでその名が持つ意味を「それ」に簡単に結び付けられるほど世界は狭くないというのが一般人の見解である。

まぁ、「それ」を知られたところで俺は何の接点もなかった人間に遠慮したり、その逆をする気もない。

だから何故だか知らんがお互い暇を持て余すゆえ、マッ○シェイクをジュゴジュゴいわせながら店内で向かい合って座っている【浅野 光】という少女に対してもそれは変わらない。

「で、徹さん。さっきの続きなんだけど」

さっきというのは、俺が【田村 拓哉】の時間を買ったということなのは間違いない。

しかし、どの続きなのかは皆目見当が付かない。俺の中でそれはすでに終わった話だからだ。

だが「知らない人間」―――と言っても今日本に存在する80%がそれに当たるのだが―――にその存在を示すのも、俺の優しさというか何というか。

「呼び名は【トオル】でいい。さて、時間金銭取引法・・・通称【TBM】についてだが。その前に【TBM】が何の略か分かるか女子高生?」

ウッと呻き、TBM、TBMと繰り返し呟くその姿は仔猫がじゃれあっているようで一種の可愛らしささえ感じてしまう。この場合、中学校レベルの英語と高校生がじゃれているわけだが。

「【Time Buy Money】の頭文字を取ってTBM。和訳は必要か?」

「結構です」

詰め寄って即答する彼女の真顔を鼻で笑い飛ばす。ちなみにさっきのは、和訳すると「時間は金で買える」って意味だ。

「時間は【一時間】・【一日】・【一年】の単位で購入することができる。金額は順に1万円。20万円。7000万円」

「一日が24時間だからって24万じゃないんだ?」

「ちょっとお得な価格設定ってやつさ。まぁ、これは公布当初の取り決めで、実際の額はその何倍にも膨れているけど。俺が知るTBMの【一般的】な知識はこれだけだ」

そこだけわざと強調して言った俺の発言に彼女は恐らく知っていて飛び込む。

「一般的ってことは他にもあるの?」

「そもそも時間はどこで取引されていると思う?」

「・・・・・市場?」

当たらずしも遠からずってところか。

「まぁ、正式名称は他にあるんだが分かりやすく言うと確かに市場で売られている感覚に近い。ならこれはもっと根本的な問いになるのだが・・・・・・時間は誰が売っていると思う?」

「それは売り手じゃない」

「聞き方が悪かったな。時間はどんな奴らが売っていると思う?」

彼女の眉が顰められ、恐らく先ほどの問いと何が違うのか分からないでいるようだ。

「答え。【時間をも金で売らなければならない連中】だ。奴らはTBMを知る人間達の中で【時売り】と呼ばれている」

「全くヒネリもないのね」

「そこは気にするな。時売りの世界はもっと深く言えば、とても返せない借金を抱えている人だとか、巨大な売春組織だとかがその中核を担っている。今日本経済は低迷し、その裏側にはそんな【負け組】と称しても蔑まれないような連中やメジャーな固有名詞なら【ニート】って連中が潜んでいるし、目に見えてウヨウヨいやがる。日本政府・・・内閣はその目に見えない部分の改善の為にTBMを創った」

さっき信号管理局職員である田村の時間を買ったが、田村も多額の負債を抱えている。毎日怖い人達に怯えて暮らしているれっきとした時売りだ。

まぁ、彼の場合「信号を変える」というだけの作業で時間を売れるからまだマシな方だ。

酷いものになると借金抱えているのを知っていて「金借りて来い」とか言う奴もいるらしいし。

でも時売りの面はネット上でブラックリストとして名が挙がっている場合が多いから、よっぽどマヌケな金貸しでもない限り借りることなんてできないわけだけど。

俺は冷めたポテトを人差し指と中指で摘み、タバコを持つようにして持ち上げると、そのまま口に運ぶ。この動作に大して意味は無い。

「それって・・・」

「その通り。時売りと俺のような【知っている人間】が、メディアにTBMの存在を嗅ぎ付かせた場合の上辺だけの理由に過ぎない」

「でも私は知らない」

「つまりメディアも知らない。知っている人間がバラすこともない。国家権力による【規制】によって不可視の法規は透明なものとしての意義を失う事無く機能し続けている。一年もの間ずっとな」

ポテトを口に運び、黙った彼女を考えなしにボーっと、見る。すると豆電球が頭の上で点滅し、好奇心がありありと窺える瞳を持って、彼女は口を開く。

「時売り・・・つまり売り手が買い手を選ぶことは可能なの?」

「結論から言うと可能だ。TBMはあくまで【取引】だ。つまり取引が成立しなければ時間の売買は成立しない。大概は、はい売ります、の二つ返事で売る奴らばかりだけどな」

「あ・・・だから市場なんだ」

「・・・どういう意味だ?」

「TBMが単純に時間を売る人と買う人で構成されている筈ないな、って。さっきからトオルが【電話で時間を買った】っていうのが引っかかってたの。でも時間を買うには本人の【取引】が必要なんでしょ? あー・・・・だから」

なんとも的を射ない説明だが、つまり。時売りと買い手の間は1本の直線で結べるほど単純なものではない、ということを言いたいのだろう。

彼女の【市場】の比喩はシステム的には間違っていないということは前文でも僅かに触れている。

品物を仕入れ、それを売る。しかし野菜と時間とでは仕入れの段階で全く物騒なものになっている。

「時売りの世界は【闇時】という【実際に時間の取引を行う仲介者】によって牛耳られている。

俺はそいつらから時売りの情報を買う。その金は直接、時売りから時間を買ったのと同義になる。何故なら」

「闇時って、元は借金取りさんなんだ?」

「その通り」

“中途半端”に理解力のある娘だな。

「何なら会ってみるか、その借金取りさんに」

「へ?」









アールグレイにレモンはない。

紅茶の香りを消すような馬鹿な真似はイギリス人を怒らせるというものだ。元々アールグレイは中国のお茶なのだが。

一時期【ダヴィンチ・コード】とかいう映画が流行った時の事だ。

あの映画の台詞の中で「アールグレイにはレモン」という台詞があったことは今でも良く覚えている。

だからアールグレイ――――というより紅茶全般において――――はストレートだという意識改革が行われたのは映画を見終わり、喫茶店で落ち着いた時のことだ。

俺――――通称【サクラ】はティーカップをテーブルに置き、思考に耽る。

紅茶は温度や茶葉の僅かな均衡の破壊によって深みは勿論香りも全く異なる。

それをよしとする人間もいれば、よしとしない人間も存在する。

俺はその後者に当たり、後者であるが故に半端なことや自分の思い通りにいかないことを極端に嫌う人間だ。

だから俺が手元に置いておくのは俺を裏切りようがない物ばかり。

黒のネットチェアに腰掛け、目の前のテーブルに所狭しと並べられたPC、それと同じ数だけのキーボードと、現存するすべての携帯会社と契約したケータイが各社5つずつ、“現存しない会社”から購入した電話が2つ。

全て文明が生み出した、人を堕落させるものばかり。ならば俺は堕落しているのか? 違う。

俺は堕落した人間を堕落させた者達を操って支配しているのだ。

俺は【闇時】。

俺の元にやってくる人間、つまり闇時の俺に買われる日本の退廃物どもは、より良い生活を求めると信じて世界の筋道に乗って人生の終着駅へと辿り着く。そこが堕落を極めし愚か者の街だとは知らずに。

瞳を開く。ティーカップからのぼる湯気を2秒ほど凝視し、思考はある1つの結論に至った。

「お湯が熱すぎたか」

俺が自分で完璧に紅茶を淹れられたことはない。

こればかりは自分の間性によるもので機械には頼れない。

ただこの動作が機械を支配し、機械に支配されている自分が、まだ人間なのだという抗いのように思えてしまう。

もし俺が100点の紅茶を淹れる日が来るとすれば、それは俺が人ではなくなる日なのかもしれない。



机のPCの1つが初期設定の電子音を上げ、それが【客】を示すものであることは画面を見ずとも分かる。

闇時としての俺がいるオフィス【blossom】へ辿り着くには、誤って入ってきた人間や“時を売ることに僅かでも迷いのあるモノ”が入ってこられぬように色々工夫してある。

工夫と言っても、何故時間を売る、もしくは買うに至ったかなどの電子音によるアンケートのようなものだが、言っていることは結構残酷だ。

しかし、今回の客はどうやら俺の“時”を買いに来るものでもなければ、その逆でもない。

電子音による警告を無視して真っ直ぐblossomを目指している。

こんな常識知らずは俺が知る限り一人しかいない。この狂った世界を作り上げたバカ野郎だ。







私――――【浅野 光】はblossomという掛札が掛けられた扉を押し開く【トオル】を追って中へ入る。

彼は私に前を勧め、後ろ手に扉を閉めると私の脇に立った。私は部屋を一望する。

部屋の中央に黒革のソファがガラスのテーブルを挟むように設置されただけの空間。

私達が入ってきた扉とは対角線上にある、鉄の扉はその先が拷問部屋にでも繋がっていてもおかしくない程重々しいものだ。

「ここが日本にある闇時の中で最高権力を持つ闇時間取引組織【blossom】。そしてあの扉の先に」

トオルは人差し指を、あの扉に向ける。

「このblossomの、つまり闇時の長【サクラ】がいる」

「サクラ? 可愛い名前だね」

私は率直に感想を述べると彼は噴き出して笑った。

「アイツの形を見ればその感想も一瞬で蹴散らされちまうよ」

そう言うと彼はソファを迂回して扉へと向かった。私もそれに付いていく。

鉄の扉は、開かれた。





切れかけた電灯のような薄暗さ、蜘蛛の目のような“それ”は凝らして見ればパソコンの画面が一箇所に集まっているようだ。

そこは“異質な場所”。

自分の家だとか、学校だとか、ファーストフードだとか、そんなものはこの場所を前にすれば、ただの物質の集合体のように思えてしまう。

確実に私が歩んできた道の中には存在しない部類の世界。

そこは天国とか地獄とか、そんな安易な言葉では表現しきれない、歪んでいる。

その世界の住人は今、蜘蛛の眼下に、悠々とネットチェアに腰掛け、微笑んでいる。

薄暗さに映える白髪のロングヘアに、カラーコンタクトなのであろう桜色の眼、鷹を思わせる鋭い輪郭は確かに可愛いと称されるものではない。

しかし、彼がそこにいることは、この空間を考慮すれば何ら不自然でないことを私は感覚で知った。

「アイツがサクラだ・・・・・初見の感想は?」

「とりあえず色々間違ってる気がする」

「確かに、あの名前にあの外見はないよな」

「まだ地がカッコいいから許せるけど・・・ねぇ?」

私達が勝手に喋っているとサクラは方眉を吊り上げて口を開いた。

「用件はなんだ、トオル?」

身形に相応した低い声にトオルが続く。

「特にない。社会見学」

あっけらかんとした口調に眉が更に吊り上がる。

「いつから貴様は学校の先生なんぞになったのだ」

「いつからなどという明確な日時は分からんが、今に始まったことじゃないだろう?」

「・・・で、そちらのお嬢様は・・・なるほど」

「察しが早くて助かる。それじゃあ、俺は手続きしてくるから・・・後は宜しく」

そういうと、トオルは扉を抜けて行ってしまった。

つまりこの部屋には私とサクラの2人のみ。

「さて、浅野 光さん。まず何を聞きたいのかな?」

「ここの闇時って貴方一人なんですか? トオルは組織って言ってたんですけど」

するとサクラはピンク色の瞳を驚きの色に光らせる。

「何故俺がキミの名前を知っているか、聞かないのか?」

「さっき、なるほどって言ったじゃないですか? あ、ここへ来るとき説明受けたんですけど。日本最新鋭の監視システムがあるとかないとか・・・ほら、よく事件モノの映画であるじゃないですか、監視カメラの映像と犯人の顔を照合する、みたいな」

「素晴らしい、正解だ」

彼はキザったらしく、座ったまま拍手する。しかし、その動作が嫌に似合うのも事実、つまり彼はキザなのだ。

「その分だと、俺が何をしているのか、トオルから一通り説明は受けているようだな。ここの闇時は俺一人か、だったな?」

私は頷く。

「組織というのは、いつの世も個人を隠すための隠れ蓑だ。“俺”という闇時は、つまり“blossom”は俺一人で運営されている。無駄に人を雇ったところで・・・ろくな事にならない。人件費も掛かるしな」

何故だろう。私は彼の言葉一つ一つが気にかかった。彼の目に、私が映っていなかったからだ。私というフィルターを通して彼は違う私を見ていたからだ。

きっと彼には深い過去があるのだと思う。彼は一人になりたがっている、なる必要があったのだと感じたから。

私はそこに触れずに、話を変えようと他の質問を探す。

「何で・・・私だと思います?」

「それは“何故、私がここに連れて来られたか?”と受け取っていいのかな? もし、そうであるなら答えは1つ」

私はその続きを待った。

「他の人間がこの場所に来る理由と同じだ」

すると私の後ろで鉄の扉が呻き声を上げながら開かれる。

そこにはトオルがいて、手には何か分厚い書類を持っていた。

「浅野 光。現時刻をもってキミの時間は【所有物】となった」

「・・・・・・・・・え?」

「意味が分からないか? ならばもう一度分かりやすく言ってもらったらどうかな?」

サクラはネットチェアを反転させ、蜘蛛の目と向き合う。

私はトオルの方へと向き直った。

「・・・・・・どういうこと?」

「キミは売られたんだ。キミの実の父親にね」

その声はあまりにも残酷な響きで、私の心を貫いた。











「“いつものこと”だが。よくもまぁ、こんな残酷な真似ができるものだ」

俺――――【徹】に向けられたサクラの言葉は俺の右耳から左耳を抜けて消えた。

しかし、言葉の意味は理解している。俺は外道で、残酷な、世界のクズだ。

「なぁ、【通告者】。お前の親父はいつまでお前に、こんなことをやらせるつもりなんだ?」

「知るか、テメェの親父に聞いてみろ」

浅野 光の父親、浅野 聡は自身が保険金を賭けて死んだところで払いきれるものではない額の借金を抱えていた。だからといって家族を連れて夜逃げしても逃げ切ることができないことを知る現実を知り、家族の為に死を選ぶことのできる度胸もなかった。

だからその父親は娘を売った。皆が生きるために、と反吐が出るほど臆病な男の勝手な都合で、一人の人生は堕落し、世界の退廃物と呼ばれる存在へと成り下がる。

本当のゴミは処分されることなく、キレイナモノは黒く染められるために絶望を歩む。

俺は“本当のゴミ”の代わりに“キレイナモノ”を絶望へと叩き落すために雇われた【通告者】。

キレイナモノがそう呼ばれる最後の瞬間を見届ける、性根の腐った悪魔だ。

「現内閣総理大臣の【和泉 周一郎】の任期もあと半年・・・しかし、金融経済財政政策大臣【櫻野 源蔵】が次期内閣総理大臣の最有力候補となった今、まだ国の戯れは続きそうだな」

サクラが淡々と予め取り決めていたかのような台詞を吐く。

「なぁ? 国家の御曹司【和泉 徹】」

「黙れ・・・【櫻野 明日馬】」

クツクツと喉の奥で次期総理大臣の息子が笑う。

現総理大臣の息子は偽善者を装いながら、死神の手先となって人に絶望を与え続ける。

この先も、ずっと、ずっと。



「完璧なルールなんて存在しない。どんなルールにも必ず抜け穴がある。そして、世界とは正しい・正しくないで分け隔てられるほど簡単なものではない。抜け穴を抜けることが正しいこともある」



「それでも俺は、今自分がやっていることが“正しくない”と知っている。それでも俺は“国が正しいと言うこと”に縛られ続けなければならないのか!?」



「“Time Buy Money“。それが認められたのが今の日本だ。そして、今の日本を知りながら、俺達は何も出来ない。無力なんだ」



「お前はどうして、そんなに割り切れるんだよ・・・?」



「俺はもう理解したからだ。この世界に、真の憲法など存在しないことを。俺達を守ってくれるものは何も無い。法もまた無力だからだ。【国民】・【国会議員】・【通告者】・【闇時】・・・そして【時売り】は生きるために“必要な場所”であり、人間はやはりそこで生きている。敷かれたレールの上で生きることが、今の俺達に許された力だ」



「1つのゴミが落ちてるだけで逸れちまうようなレールに、俺達は乗っかることだけしかできないのか・・・」



「どんな障害が目の前にあろうとも跳ね除けられる強さを持て、ってことだ。それは闇時にも時売りにも、通告者にも、それが人間である限り平等に存在する唯一の揺るぎようのない“ルール”なのだから」










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