【生命の摂理】
雲の隙間から覗く満月の下。
もう12月だというのに生暖かい風が吹く夜。
コンビニ袋片手に帰宅路の一本道で、ふと立ち止まる。
目先に立つ、端麗な顔立ちの不思議な雰囲気を持った少女に目を奪われたからだ。
純白のタートルに同系色のスカート、手には旅行鞄を持っている。
ニコッと微笑む少女は月のスポットライトを浴びているように、彼女の周りだけが輝いて見える。
「キミに会いに来たの」
微笑を崩さぬまま少女は言うと、ポカンと呆けている俺の手を取る。
俺の手には手袋がはめられていたが、布越しでも分かるほど彼女の手は暖かい。
「私は、あなたが小さい頃・・飼っていて病気で死んじゃったゴールデンレトリーバーの“メグミ”です」
メグミと名乗った少女は、タートルの首元を織り込んで何かを掴んで見せる。
それは古びた皮の首輪だった。
「ほら、ここにメグミって書いてるでしょ?これ、キミが書いたんだよ、変な字〜♪」
目を凝らして見てみると、そこには確かに“メグミ”とミミズのような文字で書かれている。
この子が小さい頃に死んだ、あの“メグミ”だというのか?
当惑する顔を覗き込むように首を傾げる少女は、どう見ても犬には見えない。
バカにしているのか。
その疑問が脳裏を掠めたが、何故死んだ犬の名前を知っているのか、その理由が理解できない。
仮に少女が何らかの理由で“メグミ”という犬の名前を知ったとしよう。
しかし、それなら何故庭に一緒に埋めたはずの首輪が原形を留めて少女の首に巻かれているのか。
そんな凝った演出までして人をバカにする親戚、友人なんか知らないし、ましてや初対面の人にこのような事を言えば人間性を疑わることが分からないほど少女もバカには見えない。
「(まさか・・・この女の子、本当に犬なのか?)」
仮に犬と想定しよう、それも幼き頃に死んだ“メグミ”に、だ。
戸惑いながらも口を開く。
ここは付き合ってやろう、そうすれば少女の気が済むだろう・・それが希望的観測であることを知らずに・・。
「で、メグミは何をしにきたの?」
「私は、幼い頃大事に育ててもらったご恩をお返しすべくやって来たのです!」
活発的で明るい子だ、第一印象は○といったところ。
この理解不能な言動を除けば、だが。
「運命の人というのを、あなたは信じますか?」
意図が分からないまま、ノリで頷く。
「『運命の人』はですね。その相手に最高の愛情を与えた、もしくは与えられた全ての生命が『人』という形で具現化したものなのです。それが、服でも虫でも・・犬でも」
神教者と思わせるメグミの言動に偽りの様子は見られない。
「それって・・メグミの場合は、俺の愛情を受けた『犬のメグミ』の生命(魂?)が・・人の器に入って『運命の人』という形で再び俺の前に現われた・・・ってこと?」
「わあぁ〜〜〜、物分りがイイ♪」
「って、アホ。信じられるかっ。仮に世界の『運命の人システム』がそうだったとして、それを人に言ってもいいのかよ?」
ダメですね、メグミの表情が強張り失言だったのだろうか、いきなり慌て始める。
「い、い、いまのは聞かなかったことに・・」
「却下」
「クウゥ〜ン・・・」
その声が、犬が怒られたときに出す鳴き声に酷似して驚く。
「(・・・本当に犬なのか?)」
何がなんだか分からなくなってきた自分を落ち着かせようと数回深呼吸、さらにこのやりとりが夢でないか確かめるために頬をつねるが・・。
「(夢じゃない)」
今度は状況を整理しようと今まで起こったことを思い出す。
死んだメグミが『運命の人』みたいな形で現われ『運命の人システム』をカミングアウト。
自分で言ったことに焦りながら、今尚焦っている。
「(ん?って、ことは・・・だ。TVでよく見る既婚俳優の奥さんは、実は昔よく遊んでいた玩具だったりするわけか!?)」
噴出しそうになるのを堪え、喜怒哀楽(厳密には『喜』『楽』だけ)を不思議そうに眺めるメグミと視線を合わす。
「そろそろ本題に移りたいのですが・・・」
何故か、その馬鹿げたシステムを信じる気になっていた俺は快く本題に耳を傾ける。
「今日から、私。あなたの家に住み込みで働きますっ!」
「はあぁ〜〜〜?」
これは危ない、一歩後ずさりするがメグミはズィっと二歩踏み込んでくる。
「私っ、帰る所が無いんです!!」
まさか、これは新手の押し入り戦術なのか。
振り払おうとするが噛み付かれたように離れない。
「運命の人と一緒になれないと、私消えちゃうんですっ!!」
「・・・なんだって?」
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コンコンコン・・・。
4LDK、その2人で過ごすには広すぎる家の一室に戸惑ったようなノック音が響く。
のそのそと身体を起こして時計を見る。
「(5時20分・・・)」
どうやらノックは聞き間違えのようだ。
寒さに身震いし布団を大急ぎで被る。
暖かい12月といえど朝は寒い、これは冬の必然だ。
コンコンコンコン・・・。
ん?意識は割とハッキリしている、それなのに聞こえるということは・・・。
この家に住んでいるのは俺と母さんの2人。
しかし、母さんは!
ゴンゴンゴン・・・。
先ほどの戸惑いは微塵もなく険悪な音が耳を打つ。
ガチャ・・・。
ドアノブが回って扉が開く、パタパタと足音を立てながら近付いてくる。
タンッと床を蹴る音がした。
「(待て、床を蹴ってその後は・・・まさか)」
「おっはよ〜〜〜!さわやかなお目覚めぇ〜〜〜っ!!」
足音の主が俺の腹部に恐らく両足で・・。
「全然さわやかじゃねぇっ!!!」
着地する寸前で飛来物の両足を捕らえる。
バランスを崩した飛来物がベッドへ仰向けに倒れそうになる飛来物を、身体を精一杯伸ばして受け止める。
見慣れない白いエプロン、首に古い首輪をつけた少女がそこにいた。
「(女の子・・・)」
そうだ、コイツ昨日から居候・・。
「痛たた・・やるね、ご主人様」
「・・・そのご主人様って何だ?」
受け止めた体制のまま問いかけてみる。
「いやぁ『不知火 健一』くんだから、ご主人様」
「それじゃ、健一くんでいいのでは?」
「そうしろ、って言うなら健一くんでいいけどぉ」
何故そこまでご主人様にこだわるのだ。
「もしかして。メグミが犬だった頃、俺のこと“ご主人様”って呼んでいたのか?」
するとメグミは嬉しそうに頷く。
「健一くん、朝ご飯できたからお着替えして顔洗って遠吠えしてらっしゃいな♪」
遠吠え・・・そうか、コイツ『犬』だったんだ!
って、犬は身支度した後遠吠えするのか!?
いつの間にか、メグミの姿は消えていた。
「(メグミの中の俺は、いつまでも昔の俺なんだな)」
ベッドから抜け出し私服を着てリビングに向かう。
その時、気付くのだった。
「5時30分・・・」
犬は早起きだ。
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結論から言うとメグミの料理は美味しかった。
見たことの無い珍品ばかりだったが、見た目よりは・・・みたいな感じ。
今は家でゴロゴロしながら学校へ向かう時間を待っているだけだ。
メグミはというとコチラもまたゴロゴロと床に背中を擦り合わせている。
「(・・・背中、痒いのかな)」
小さい頃(メグミが犬だった頃)、よく背中を撫でてやったものだが今同じ事をやるとセクハラで訴えられかねない。
いや、当人は犬として生活しているわけだから訴えられないが周りから見ると、という事だな。
「(って、俺は何を説明しているのだ)」
ようやく痒みが取れたのか起き上がって欠伸を1つ。
コイツ、いったい何をしに来たんだ?
時計を見る、7時だ。
そろそろ行くか・・・。
立ち上がってメグミを見ると睡魔に襲われているのか瞼が重そうだ。
これなら、いなくなっても気付かないだろう。
そう思いながらリビングを後にする。
メグミはとうとう仰向けになった。
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母さんの部屋の扉の前に立つ。
「入るよ、母さん」
返事は無い、そりゃそうだ。
母さんは植物状態でこの世を彷徨っているのだから。
自力移動不可能、自力摂食不可能、尿失禁状態、声を出せても意味のある発語は不可能。
心臓などの内臓が動いている為、年も取る。
俺が15歳の時、交通事故で入院し・・今もそのまま眠り続けているのだ。
この状態になったあの日から、もう3年になる。
今もベッドで生命維持装置を付けたまま眠り続けている母さんは眠ったままだというのに笑っている(ように見える)。
「今日は機嫌良いのかな?髪もずいぶん伸びたね・・そろそろ切らないと?」
定期で訪れる医者の話によると、少しずつだが回復しているそうだが完治には程遠い段階だそうだ。
「メグミが母さんを見たらどう思うんだろうな・・」
変な言い方だが、メグミを購入したのも母さんだ。
「やっぱりショックかな」
「・・・そんなことないよ」
いつのまに・・。
寂しそうな顔をしながらも飼い主の状態を心配する様子も無い。
「なんで?俺より母さんの方が恩義は厚いはずだろ?」
「私達『運命の人』は、最高の愛情を与え与えられた者にしか感情を表さないの。だから私が犬だった頃・・・例えお母様が買ってくださったとしても、ね」
それが『運命の人』の掟ならば、すごく寂しい事だと思う。
情にも流されず受けた恩は知らぬフリ。
これはメグミが悪いわけじゃない、そのシステムを作った“生命”が歪んだ愛を求めていただけ。
メグミはそのシステムの犠牲者。
運命で繋がれた同士でしか関わりを持つことが許されない、束縛された生命。
「それでメグミは寂しくないのか?」
「うん・・・」
嘘だ、真実を訴えようとしていた昨日の夜のメグミの目には揺らぎが無かった。
しかし、それが今揺らいでいる。
「だって生きてるんだよ?今、ココに・・この世に!」
両腕を広げて“この世”を愛おしそうに眺める。
メグミの顔は太陽のように晴れやかで・・その奥には陰りが見えた。
「・・メグミは、さ?一度死んで、この世に戻ってきた・・って事になるよな?」
小さく頷くと何かを疑うような顔でコッチを見る。
「“あの世”ってどんな場所なんだ?」
「アハ、秘密ですっ♪」
「・・・・・・ご自分で体感を、か?嫌なヤツ」
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今日は学校の創立記念日であり、母さんが植物状態に陥った日でもあり、2年前残った一人の家族を失った日でもある。
協調性の無い息子、ネガティブ思考の父さん、2人の身勝手野郎をまとめた母さん。
「その嚊天下家族の方向性が狂いだしたのも今日だった」
隣のメグミは表情を表さず、母さんのベッドに腰掛けて静かに聞いている。
情にも流されず受けた恩は知らぬフリ。
しかし、メグミは少なくても受けた恩を忘れているわけではないようだ。
話す内容は大概俺のこと自分のことだが、母さんとの思い出も話してくれる。
何かで落ち込んだ父さんと一緒に酒を飲んだこともあるそうだ(死にそうだったらしい・・酒で)。
「2年前。父さんは・・・多分、母さんがいないことに不安を感じたんだろうな。首吊って死んだ」
そう、とメグミはただ頷くだけ。
「もともと根暗なところがあったから・・今となっては、しょうがないって感じかな」
また、頷く。
「母さんは助かるのかな?“あの世”の住人だったメグミにも分からないのか?」
「死期っていうのは・・“あの世”だから知っているんじゃなくて、“この世”だから分かるの。だって、そうでしょ?“この世”で死んで“あの世”へ逝く、自分が死んだって分かるのは“この世”にいる時じゃない?それに生命の生き死には、その生命にしか分からない」
「そっか、そうだよな(あんまり分かってないけど)」
「助け・・・たいの?」
何を今更・・。
「もちろん、助けたいに決まってるだろ!」
「そう・・それじゃ助けてあげる」
え?
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「メグミの生命を母さんに与える?」
「そう、私達『運命の人』は自分の生命を他者に分け与えることが出来るの」
解釈違いかもしれないが、それは母さんが元気になるがメグミは死ぬということではないのか。
たしかに、元気な母さんの姿を望んでいたかもしれない。
しかし、“この世”で生きることに喜びを感じているのであろうメグミに死ねともいえない。
再び『生』を受ける意味がどれほど大きなものかメグミは知っている。
自分が消えてしまう恐怖。
それと向き合い下した決断が『母さんを助けてくれる』だというならば、元々半信半疑だった『運命の人』としてのメグミを神に差し出すのは酷過ぎるだろうか。
「メグミが消えないで、母さんを助ける方法は無いのか?」
逡巡することなく屈託の無い笑みを浮かべて言った。
「あるよ♪」
あるんかぃ!
「健一くんの寿命を半分貰う。私の寿命の半分と足して1つの生命を生み出し、お母様に与える」
寿命を半分・・・。
あと何年生きることが出来るのだろうか、と考えてみる。
仮に60歳まで生きるとして今18歳だから、あと42年生きられる。
その半分なのだから39歳まで生きられるわけだ。
これからの人生と母さんを天秤にかける。
やはり、振るいは母さんの方へ大きく傾いた。
「それでいい、俺は母さんを助ける」
「いいの?それで健一くんは本当に良いのね?」
「あぁ」
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「健一くんは強く『助けたい』と念じるだけ、生命の移動は私がやる」
と、まぁ簡単なシステムらしく・・今俺は目を瞑り、ただ言われたとおり『助けたい』とだけ心で叫び続ける。
叫ぶたびに俺の生命が期待し、怯え、奮え、消えていく。
走馬灯じゃない、俺は死ぬわけではない。
そう思っても、生命の灯火が少しずつ少しずつ消えかけのロウソクのように小さくなっていく。
これが生命の大切さ?これが俺の生命の大きさ?
そんな、“蚊のような光”じゃないか。
まさか・・まさか、まさか、まさか!
人の生命って、こんな“ちっぽけ”なものだったのか?
いや、俺の生命が“ちっぽけ”なのか?
やめろ、それ以上・・・取るな、メグミ!俺の生命を!
「・・もう止められない、助けたいんでしょ?」
それは、そうだけど・・・。
「なら、その生命。お母様の為に捧げなさい」
待てよ!生命が無くなる=死って事だよなぁ?
なら、メグミはそれでいいのかよ!?俺が死んでも構わねぇのかよ!
メグミは俺の『運命の人』だろ?だったら・・・。
「あら、私。そんな事言いました〜?」
なんだと!?
「私、健一くんの『運命の人』だ!なんて、一言も言ってないわよ? 私は健一くんが言った通り“私を買ってくださったお母様”が大好き。 私は『お母様の運命の人』!そして・・健一くんも『お母様の運命の人』。 アナタは、私達『運命の人システム』の失敗作でありイレギュラー的なもの。 お母様の身体から生まれてきたアナタは、本来体内で死んだ身だった。 しかし、アナタは生を受け『運命の人』という形で“この世”で生きる事を認められた。 でも、幼さゆえに自分が『運命の人』だという事実を忘れてしまった・・だから、私が“この世”に生まれた」
俺が母さんの『運命の人』?
「そんなこと言われても信じられないわよね? でも、事実。もうアナタは『不知火 健一』として“この世”に存在し続けることはなくなるわ。 さようなら、縁があったら・・また会いましょ?」
そこで意識が途絶える・・それは俺の中の“大事な光”が影も残さず消え去った瞬間だった。
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お母様の瞼がピクピクと痙攣し、ゆっくりと開かれる。
「おはよう、お母さん♪」
3年間も眠っていたのだ、瞼が痛いのだろう人差し指と親指で押さえている。
やがて痛みがひいたのだろうか私(メグミ)に目を向ける。
当惑している、当然だ。
目覚めた先にいたのは全く知らない人間なのだから。
「・・・ごめんなさい、アナタ誰でしたっけ?」
「何言ってるの、母さん?メグミだよ。ヒドいなぁ♪」
「そっか、そうだよね・・すごく長い夢を見ていたの。ベッドで眠り続けていた私を王子様が何度も何度も起こしに来てくれるの・・でも、意識はあるのに身体が動かない。ある日、王子様はとうとう来なくなる。そこで、目が覚めた」
お母様の目がすごく寂しいものになる。
「母さんは、目が覚めた時目の前にいるのが王子様の方がよかったかしら?」
「そんなこと無いわよ、あの王子様は夢の中の人物ですもの。現実にいるメグミちゃんの方がいいに決まってるじゃない♪」
屈託の無い微笑を浮かべる母さんに微笑み返す。
「あら、それは何かしら?」
視線の先にある“それ”は私の首からぶら下がっているロケットだった。
「・・・誕生日プレゼントに母さんが買ってくれたんじゃない、忘れたの?」
「そうだっけ?ごめんなさい、記憶があやふやで・・」
覚えていないのも無理は無い。
“この世”に存在してはならないのだ、“あの世”の物は・・。
健一くんの生命が“この世”に消えた時、首輪が姿を変えこのロケットになった。
「何を入れてあるの、その中に?」
「ヒミツ♪」
「むぅ・・・隠し事はドロボウの始まりよ」
ホッペを膨らませて拗ねて見せるが教えるわけにはいかない。
ベッドから降りたお母様は大きく伸びをして。
「ご飯作るわね、今日はオムレツよ♪」
とだけ言って自分の部屋を3年ぶりに出た。
胸元のロケットにソッと握り締め、開く。
カチッと鍵の外れる音だけが部屋を満たしている。
ロケットの中には、お母様と一緒に笑っている健一くんの写真が収められていた。
これが健一くんの『生命の片々』であり、いつかこれを見て「母さんが自分の事を思い出すのではないだろうか」という希望。
それとも、私に対する嫌味?
何にしても・・・。
人は存在が消えても・・愛情を与え与えられたモノに再び生命が宿
り続ける。
それが世界の摂理であり、変わることのない運命。
世界とは摂理。
ほら、アナタの大切な人・・アナタが愛した“生命”ですよ?
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