今生きる世界で、俺には意志はなかった。

存在する意義とか、強いとか、弱いとか。

他より優れているとか、いないとか。

そんなこと以前に、俺には心がなかった。

”心無き者”として歩む道は、日の光すらない真っ暗な砂漠に等しい。

善悪とか苦楽とか、感じることの無かった俺という生き物。

寒い。

そして、冷たく重い。

それだけが俺の心を浸し、染め上げていく。

与えられることを知らない優しき心を憎む烈火の色。

目前全て薙ぎ払い、退け、死に至らしめる炎。

しかし、その炎。

なんと青く、静かなことか。







幼い頃の記憶。

そんな物とうの昔に忘れたと思っていた。

俺――――【神谷 幸村】は過去に興味をもたない人間だと自負している。

しかし、忘れたと思っていた記憶は夢と共に再び脳裏に刻み込まれる。

数々の絶望、それと同じ数だけの痛み。

最近感じることのなかった冷たさ、青い炎。

息が乱れている、動悸が激しい。

「むにゃ」

「ん?」

いつ潜り込んだのだろうか、顔を真っ赤にした薫が俺の横で寝息を立てている。

「ヘソ出して・・・・・・」

溜息混じりに捲り上がったシャツを直してやる。

お礼を言うように猫はニャアと声を漏らした。

「さて・・・・・・」

時計を見る、深夜2時。

椿山荘の住人で今起きているのは隣人φと俺だけだろう。

「行ってきます、薫さん」

布団をかけ直し、立ち上がる。

「ニャ」

眠る猫は小さく鳴いた。















閉館時間というものは、ただ存在するだけで俺のような泥棒には全く関係のないものだ。

昼間とは比べ物にならないほどの静けさ。

あるのは生物特有の息遣いと、暗黒に佇む無数の光。

美術館内には幾重にも張り巡らされた防犯装置(赤外線センサーのようだ)の赤い光線がランダムに通路を徘徊している。

この通路はダナエへと繋がる唯一の道で、ここを通らざる終えないわけで・・・。

通路は目測りで横5m、壁には俺を欲の渦に駆り立てる美術品達が展示されている。

「(そういえば映画で・・・)」

同じような情景を見たことがある。

オー○ャンという泥棒の下に集まった11人のスペシャリスト(通信機器、射撃など)が盗みを働くという同業者の活躍を描いた”実話”だ。

一流の俳優を使っているだけあって演技は完璧だが、”本物”の目から見るとイマイチな作品だった。

その映画の中に、主人公チームに敵対する泥棒がいる。

”泥棒の世界”では中の上程度に有名なある泥棒だ。

彼は体術に優れ、無数の光線の群れをカポエイラ(ブラジルの武術)を駆使して潜り抜けたという。

彼は彼なりのアビリティで突破を可能とした。

ならば俺も俺なりの方法でこの網を潜り抜けてやろう。

俺は、言わなければ忘れ去られていたであろうモノクルの突起に触れる。

【第一の眼】を発動する。

基本的にはサーモグラフィー兼戦闘用としている第一の眼だが、本来の用途は今のような状況である。

「(映画とは違う点が2つ)」

1、視覚できる赤外線はフェイク。

モノクルで見れば一発だが、僅かに熱量を持ったステルス仕様光線が巡っている。

どうやらこれが本命のようだ。

映画の彼でもこれを超えるのは不可能に近い。

仮に彼にこのステルス光線を視認できたとしても同じだ。

人は必ず目先のものに注意が向き、他方向は疎かになってしまう。

人間の目が360度見渡すことできない肉食動物なのだから当たり前だ。

この量の赤外線を無視して突破するなど、腕の立つ者ほど落胆、失意するというものだ。

「(しかし、俺には)」

2、彼らを上回る力がある。

ココ重要よ?

身体能力上、俺の上をいく者は指折り数えるほどしか存在しない。

その中にもちろん先ほどの彼は含まれていない。

所詮、超越した者と対等に立つには超越した者ではならないということだ。

「(でわでわ♪)」

俺はその場で片膝をつき、両手は地を掴む(クラウチングスタートだ)。

脚部に溢れんばかりの気を集束し一点を見つめる。

センサーを抜けた先の、いつもなら”在りえない”気配。

「勝負!」

俺は大地を踏みしめ、風となった。











互いの足が地に着かぬ空中戦。

センサーの網を駆け抜けると同時にダナエの前で仁王立ちを決め込む【一ノ太刀 鬼丸】が地を蹴ったのだ。

交差する寸前、二桁にも及ぶ攻防が宙を飛び交う。

そこに”必殺”はない。

あるのは好敵手と出会えた戦闘狂だけが味わうことができる甘美さに似た感覚と、それを確かめ合う探りの撃。

神速の域に達する、模索の境地とも言える打撃の応酬。

肉薄し、鬩ぎ合い、交差。

互いの位置が逆転し、ダナエを背にするも、目先のスリルに目が離せないでいる。

「(泥棒失格だな)」

そう思いながらも口元に薄い笑みを浮かべながら、俺は周囲を見る。

昼間も見たが、先ほどの通路を抜けると50m×50mの大展示室へと出る。

通路から見て真正面にダナエが展示されている。

勿論、壁には他の絵画が飾られているがダナエが一際異彩を放っていた。

大展示室は天井を支える柱がサイコロの”4”の目に配置され、立てられている。

その柱にも絵画は飾られ、計30を超える世界的価値の高い芸術がこの場所に集まっている。

この強敵がいなければ、ダナエ片手に他の絵も吟味していたことであろう。

「そんなの持ってていいの?」

俺は暗黒に住まう鬼に問いかける。

彼の腰には身の丈以上の長さを誇る日本刀が携えられていた(刃渡りは1.8mを超えている)。

警棒には長すぎ、日本の法律的には銃砲刀剣類所持等取締法に引っかかる。

しかしながら「俺なら許される」みたいなオーラを漂わせ、鬼は口元を三日月に歪める。

「長官だから許されるのだよ」

組織的権力による横暴だ。

鬼丸は鞘に手を掛け、柄を握る。

「では、死を覚悟してもらおうか」

一息に引き抜くと、漆黒に刀身が同化し消え失せる。

しかし、その気配は他の名刀の比ではなく、温く厚い。

「機怪刀”霧隠レ”・・・・・・穿き参る」

瞬間、鬼の姿が闇に紛れ、眼光に宿る闘志の紅が軌跡を残して目前に現われる。

「刺突」

言葉と同時に見えぬ刃が闇を直進する、音は無い。

僅かに漂う殺気だけを頼りに俺は真横へ飛んだ。

鬼丸の突きが空を裂き、数瞬前まで立っていた場所には気配だけを残した見えぬ刃。

”霧隠レ”、日本で唯一【Concealed Technology】を駆使し作られた古代兵器の1つとされている。

刀身にはステルス迷彩が施され、周りの風景と常に同化することで透明化する。近接武器でこれに勝るものは恐らく無いだろう。

それに加えた、神をも畏怖させる鬼丸の斬撃。

正面から真面目に戦っても勝機を見出すのが精一杯というところだろう。

完璧に避けた筈の突きさえも、俺の頬には一線の刻印を刻み、血がカーテンのように流れている。

まぁ、正面から対峙してくるだろうとは向こうも思っていないだろうけど。

「今の動き、全力ではあるまいな?」

「まさか」

鼻で笑うと、鬼も嗤う。

「少しは粘ってくれ。最近身体が鈍って仕方ないのじゃ」

「んなこと知るかい」

「粘らなければ死ぬだけじゃ。それを覚悟し、手を抜くがよい」

「そうさせてもらうよっ!」

軽口を叩き、同時に踏み切る。









”えげつない”。

それがこの斬撃を現すならば、適当な言葉なのだろう。

刀という武器は、振り切れば止まらないのが普通である。

しかし、鬼丸の斬撃は振り抜き、振り上げられるまでの速度が凄まじく速い。

俺が一発拳を放つたび、鬼丸は二度振り抜くのだ。

しかも俺はそれをかわさなければならない為、攻撃にも移れない。

全くの防戦一方を強いられているわけだ。

「その程度か若造?」

「ホザケ、クソジジイ」

胴を狙う横薙ぎの後、斜めに振り下ろされる霧隠レを流れるような動作で回避。

鬼の追撃。

必殺の間合いでの刺突、それを俺は跳躍で逃れる。

鬼丸は、それを読んでいたかのように上空の俺を追うように跳躍。

「(そのまま斬って来い)」

振り上げられる刃に臆す事無く、俺は天井を蹴って拳を作る。

俺は上、鬼は下。

「空中ではかわせんぞ?」

俺と刃が肉薄する寸前、俺は見えぬ刀の側面を蹴って方向転換。

蹴圧に圧された刀は行く先を失い彷徨う。

その間、俺は4本の柱の1本を蹴り、再び鬼丸へと突進する。

俺と鬼は横一線。

地上なら横薙ぎ一閃で反撃のチャンスなど在りはしないが、空中なら話は別だ。

空中で振り下ろした刀を再び持ち上げるには、地上と違い若干の遅れがある。

刀身が普通と違いクソ長い、足の踏ん張りが利かない空中では持ち上げられるが、遅い筈。

・・・と思っていた俺がバカだったようだ。

変わらない速さで駆ける不可視の刃、露にされる殺気。

俺の脳天目掛けて振り下ろされる、神速の切っ先。

「うおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

目前で俺は刃を気配で追い、”挟んだ”。

「白羽取りか!」

鬼が嗤う。

刃は俺の肌に傷を刻みながらも、止まっている。

しかし、重い剣圧は俺を空中から地上へと無理やり圧し下げ、俺の足はフロアの床にめり込む。

嗤いながら、鬼は冷酷を瞳に宿し俺を殺そうと霧隠レを圧し進める。

「どうした、このままでは勝てんぞ?」

「それはどうかな」

言ってみたが、この絶望的な実力差を埋める要素が見つからない。

接近戦最強の霧隠レを持つ鬼丸を前にして、俺は何も出来ない。

「(いや1つだけある。だが、発動する前に確実に殺られる・・・・・・)」

モノクル。

それが俺に残された切り札。

発動するためにはフレームにある突起部分に触れなければならない。

触れるまで0.5秒。

鬼丸なら余裕で3撃繰り出せる。

やはり、ムリか・・・自分の死を悟りかけた時、俺はまだ運命に愛されていると感じた。



「長官!」



鬼丸に呼びかける声。

神か悪魔か、はたまた絶望を運ぶ死神か・・・。

そんなことどうだっていい。

鬼丸が俺の異変に気付いた時には、俺は突起に触れていた。













その瞬間、彼を取り巻く世界が違って見えた。

外見に異なるところは全く無い。

しかし、漠然と・・・そう、漠然と”違う”のだ。

「何故、ココにいるのだね、獏羅クン?」

唐突に呼びかけられた俺――――【一ノ太刀 鬼丸】は一瞬だが、注意をそちらに向けてしまった。

0.7秒、たったそれだけの時間。

しかし、俺達の戦いにその時間は長すぎたのだ。

「えっと・・・・・・すいません。レンレイがいるとなるとジッとしていられなくて・・・」

「それで来たのか」

「すいません」

半分涙ぐみながら、彼女は頭を下げている。

まさか交戦中とは思わなかったのだろう、取り押さえるチャンスを台無しにし、逃げるチャンスを与えてしまったことに後悔しているのだ。

「気に病むことは無い。ただ・・・・・・」

「ただ・・・・・?」

「”アレ”は何なのだね?」

俺は息を荒げながら異空間に佇むレンレイに目を向けた。

「【Second Eye第二の眼】です。アレを発動中に限り、彼は体力を普段より多く消費するようです」

「【第一の眼】はサーモグラフィーと報告されているが・・・・・・アレはどういうものなのだね?」

言い難そうに、彼女は俺の顔を疑うような目で見る。

俺は無言で先を促すと、彼女は答えた。



”完全物理無効化反射鏡障壁”



「物理無効化・・・・」

聞く話によると、彼の心臓を中点に彼を包むように立方体の特殊な電磁バリアーが張られているらしく、全ての物理攻撃を無効化するという代物だそうだ。

そして、厄介なのが反射鏡。

無効化した攻撃が”同じ速度、同じ精度、同じ威力”で返ってくる。

恐らく・・・いや確実に【Concealed Technology】を使用した兵器だ。

同じ技術が使用された霧隠レでも、いや、だからこそ、この壁を破るのは難しい。

特化という言葉そのまま、霧隠レはは完全物理攻撃を特化した刀なのだから、物理防御特化の壁を砕くのは不可能。

しかし、ここで刀を捨てることはレンレイの思う壺。

彼の戦闘能力は初手と比べ、格段に向上している。

体術では、レンレイが上なのだ。

「(不可視の刃に不可視の盾か・・・)」

俺は、刀を握る力を強め、嗤ってみせる。

余裕だからではない。

この切り札により、勝利を確信していた俺の甘い心は奈落の底へと突き落とされた。

「(このままでは・・・負ける)」

弱音を吐いた時点で、負けは見えていた。

しかし、俺は突っ込む。

認めたくないのだ、彼が”彼”でないことを。









!!!!!!!











一手。

不可視の刃と不可視の盾が衝突しあい、俺は息を呑む。



「長官!」



獏羅の発する声がひどく遠くに聞こえる。

痛み。

久しぶりに感じる、負の感覚。

縦一線に振り下ろした刃の動きを忠実に再現したカウンターにより、俺の胸元から股関節辺りまでが一直線に”開き”にされた。

傷は浅く、瞬間的に後ろに仰け反った為なのだろう。

皮一枚捌かれただけで、流れるものは血のみ。

怖ろしくも、恐ろしい。

しかし、一手で十分だった。



「理解した。その障壁の真理」



まだ確信は持てないが、恐らくあっているだろう。

問題なのは、これが分かったところで俺には打つ手が無いということだ。

「障壁によるカウンター。模写の作法を応用したものだろう」

「へぇ・・・・・・・・・よく分かったね」

模写、芸術作品などをそっくりそのまま写し取ること、画伯なら画力向上のため一度はやったことがあるだろう。

確実な模写の方法(本人の技量によって左右するが)として、方眼紙の使用がある。

これは中学・高校の美術の学習などで使用されるのだが、一番簡単で、失敗が少ない。

まず、原画(模写する絵)に方眼線を引く。

そして、画用紙にも原画と同じ本数(等間隔)の方眼線を引き、その線と絵の中の線の位置関係を忠実に写していく。

これだけで比率は異なったとしても、相似ともいえる下絵が完成するわけだ。

彩色も同じ、方眼のマスに大体で色を置いていくだけで本物そっくりの質感を持った模写が完成する。

レンレイの障壁はそれを応用したもので、この方法でいう方眼のマス目(恐らくミクロン単位)が書き込まれた画用紙という名の障壁が攻撃を受けると同時に模写を開始し、表現し、放つ。

それが”一番簡単で、失敗が少ない”のだ。

「今、その壁を破る術は無い・・・・・・ワシの負けだ、若造」

刀を投げ出し、俺は地べたに座り込む。

「いいの? 一国最強の男なんだよ、アンタ?」

「仮にそうだったとして、ワシは貴様に負けた。最強は貴様だ、若造」

「頑固」

「五月蝿い」

ハァ・・・と小さく息を吐く。

負けたには負けたが、晴れやかだ。

それにこれは本当の負けではない。

”お互い本気を出していない”と言えばそれまでなのだが。

しかし、これで俺を負かした者は3人目。

勝利の余韻に浸る事無く、戦いの最中に見せたおどけた表情でもない、”仕事人”の顔でダナエを睨む、レンレイ。

右腕を斬り落とされながらも圧倒的な”暴”で捻じ伏せた、夢魔王【ナイトメア】。

「そして・・・・・・」

夢魔王と引き分けた唯一の”夢魔狩り”。

名は・・・・・・・・・・・・。

「φ」





















俺――――【レンレイ】は歩く。

夢にまで見た至宝中の至宝。

あのレンブラントの描いた【ダナエ】。

目前に迫る。

視界には、”美”しかない。

二次元の世界で佇む、美の女神。

数多くの画家達が【ダナエ】を描いた。

しかし、完全無欠、完璧なものはコレだけだ。

”コレだけだと思った”。

「まさか」

まさか、まさか、まさか。

絵が”違う”のだ。

人のものとは思えない程柔らかな曲線、神掛かった彩色。

その気配が今、この絵から感じられない。

「嘘だろ!?」

額縁を持ち上げ、裏返してみる。

そこには・・・・・・。







残念でした♪本物はアンタ達が呑気に(←ココ強調)会話してる間にすり替えさせてもらったわ(= ̄m ̄)(¬m¬ *)







いや、何顔文字とか書いてんだよ、お前。

右か左、どっちか鬼丸だな、テメェ!?

「・・・・・・・・・帰ろ」















この事件が、盗みの勝率10割の記録に終止符を打った。















日曜日の朝、薫と共に遅めの朝食を食べながら新聞を睨みつけている。

紙面には「日本警察ダナエ守り切る!」の文字。

恐らく、今俺の目は柄にもなく吊り上がり、やりきれなさで染まっているだろう。

向かいの席で、やはり魚の小骨に苦戦しながらも、たまに俺の様子を窺っている薫さんに悪いとは思いながらも、その色がすぐにただの黒へと戻ることはない、断言する。

俺はサツマイモの味噌汁をすすりながら、新聞をめくった。

最近ワイドショーなどで話題を呼んでいる汚職議員の記事。

バカなことするもんだ。

そんなことを思いながら、薫は俺が何にイラついているのかを探ろうと新聞を覗き込む。

「・・・・・・・・・・・・最近の政治がイヤなら私に言うんだよ?」

何する気だ、アンタ。

小さく笑うと、薫はホッを息を1つ。

少し和んだところで薫は骨抜きで冷め切ったアジの塩焼きを豪快に平らげた。









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