走る。

混在するビルの隙間を、屋根を、壁を蹴って走る。

横切る電車は”ゆっくりと、ゆっくりと”その差を広げていく。

日が落ち、月が昇った闇夜。

俺――――【レンレイ】はモノクルの突起を撫で、【第一の眼】を発動させると、右目を瞑る。

モノクルを隔てて映し出される世界は青、黄、赤の三色で構成され、今は冷たい青に染まっていた。

それは、この”都会”という差別的空間だけに存在する寂静。

いくら人が集まろうとも関わりがなくては、今のようにただ青い世界になるばかり。

俺は先ほどまで談笑していた椿山荘の人たちを思い出す。

相変わらずの酒豪っぷりを見せ付ける薫を尻目に橋谷は酔い潰れ、亮は遠慮しながらもやはりポテチの袋を差し出す。

たった4人の赤い世界。

そこには人の温もりがあり、繋がりがある。

しかし、今はそれを断ち切り、俺は孤独を背負って走る。

美術館はすぐそこだ。









美術館の周りを沢山のパトカーと警官が、そしてそれを野次馬が取り囲んでいる。

夕方来た時とは打って変わってその場所特有の静けさは消え失せ、俺にとってそこはただの場所でしかなくなってしまった。

作品を楽しむにはそれ相応の場所でなくてはならないというのに……。

レンレイの登場を今か今かと待ち望む警官と野次馬。

その警官側に彼女がいるのを俺は見つけた。

すぐさま第一の眼を発動し、腕を組み仁王立ちで正面入り口に立つ”無敵の獏”を左目で見る。

「気が視覚、聴覚に集中している…感度ビンビンってわけね」

第一の眼を解除して大きく深呼吸する。

「さて…行こうか」













「獏羅警部」

正面玄関でその時を待っている私――――【獏羅 香織】に一人の警官が問いかけた。

彼は私より二桁は年上ながらも階級という規則を重んじる現役の警官だ。

ちなみに彼女募集中だそうだ。

「何かな?」

「何故、時計の周りではなく建物外部・・・・・しかも正面玄関に人員を置かれるのですか?」

普通、標的を中心に警戒するものだが獏羅はこの正面玄関を拠点に置いている。

「今までの手口からして、今回は正面から入るかな〜って」

「かな〜って…そんなアバウトでいいんですか?」

「いいんじゃない?」

問いかけた警官は溜息混じりに持ち場へ戻る。

今までの手口、彼は密かに侵入し標的を掻っ攫うことを嫌っている。

堂々と正面から乗り込み、堂々と盗んで逃げる。

だから正面を厳重にしているのだが…。

「10時2分」

犯行予告時間は10時、未だ何も変わりはない。

レンレイは予告時間には必ずと言っていいほど姿を現すのだが、今回は2分も遅れている。

「…………まさか、ね?」

私は入り口に一歩、足を踏み入れる。













「楽勝♪」

時計の周りを徘徊していた警官全てを昏倒させ、正面玄関の方から聞こえる獏羅の怒鳴り声に耳を傾けた。

恐らく気を失った警官を見つけたのだろう、俺がこの場所にいることに気付いたらしい。

「ゆっくり見ていられるほど余裕もないか…」

目前のショーケースを壊して中身だけ慎重に抜き取る。

けたたましい警報とそれに煽られた野次馬どもの喧騒の中、俺は時計を舐め回すように見て…。

「本物」

そう呟くと身を翻して後ろから突入してくる嵐を横っ飛びに避けた。

時計が鎮座されてあったショーケースは吹き飛び、壁に叩きつけられる。

その嵐が獏羅だということは言うまでもない。

疾風の如く参上した獏羅の額には十字に血管が浮き出て、震えている。

訂正、奮えている。

ハァハァと荒い息を吐きながら、その双眸は殺気を放ちながら俺を見据える。

「何か言いたそうだね?」

聞くと獏羅は首を大きく何度も振る。

ようやく落ち着いたのか、息を整え盛大に言った。



「何で正面から来ないのよ!?」



その問いは館内に響く警報を凌ぐ大音量で放たれた。

映画館のスピーカーでもこうはいかない。

「いや、だって誰も正面からなんて言ってないし」

「まぁそうだけどさ!!」

しかし、それを彼女は認めようとしない。

が、認めさせることが不可能ということに気付いたのか諦めの表情を見せる。

「もういいわ、罪状を読み上げます」

「あの・・・」

と、視線で破砕されたショーケースを指す。

「器物破損は俺じゃないからね?」

「分かってるわぃ! あぁ、経費で落ちるのかな…………もうどうでもいいわ、大人しく捕まる気あるの!? ないの!?」

「あると思うならまずお近くの病院へ」

「確保します!」

ドタバタと騒がしい会話の直後、獏羅は地を蹴った。

同時に俺も臨戦体勢に入る、が、時計を持ったまま彼女とマトモに戦うことは難しい。

「まぁ、そういうわけで」

俺も彼女と同じ方向へ走った…訂正、逃げた。

普段の彼女ならそのまま逃走させようとするかもしれない、しかし今、前回とは絶対的に違うものがある。

俺は時計を持っているのだ、ならばこのまま逃がすわけにはいかない。

美術館特有の入り組んだ道を疾走する二影。

俺達は最早、常人では反応すらできないスピードで美術館を抜け、夜風と共に野次馬の波を”飛び越えた”。

「早く逃げないと”起きちゃう”かもね」

俺は時計を眺めながら、横切る電車との間を”ゆっくりと詰めながら”駆ける。

追う獏羅は俺をどうやって半殺しにしようか思案しているのだろう。

追われる俺はどうやってそれを静めようか思案している。

まぁ、結論は決まって「諦めろ」なわけだけど。













学校という場所は日が落ちる頃には完全に閉鎖される異なった世界。

”その世界”を探していた俺が知る唯一の場所。

そして、俺が罪悪感を感じずに多少の破壊が許される場所といえばココしかなかったわけで…。

一ツ橋大付属高校はその標的になりながらも、(当たり前だが)怯えることもできずにただ建ち尽くすだけである。

校門から一直線にグラウンドを抜ければ校舎。

俺達は神速の攻防を繰り返しながら校門を抜けた。

「どういうつもり、こんな場所へ来て?」

片手が封じられているにも関わらず変わらない俺の実力に苛立ちを見せながら拳を繰り出す獏羅。

二桁のフェイントを織り交ぜた拳にも動じず、本命打だけを払い除ける俺は余裕たっぷりに言い放つ。

「良いもの見せてあげる」

俺は拳を作って間合いを詰める。

拳が閃く。

超高速ジャブに加え、腹部を抉る右ストレート、吹き飛ぶ獏羅を追うように駆ける俺の拳は瞬間的にだが烈火の輝きを見せる。



―――――DANAE……



半開きの拳に120%の気が収束され、放たれた一撃は彼女の頭部スレスレを通過してグラウンドに突き刺さる。

獏羅はいつか俺が壊した教室の扉を思い出したのではないだろうか。

粉々に粉砕され見る影もなくなった、あの扉だ。

グラウンドは俺の拳から放射線状に陥没している。

ビリビリと空気と地面が振動し、その2つは彼女に”死”を体感させた。

「(今コイツが”当てなければ”私死んでた?)」

獏羅は奥歯を噛み締め、間合いを取った。

取ったつもりだった。

「立てないだろう?」

言ったのは、俺だ。

「俺が”美”に感じる感覚もそれと似たようなものなんだ。良いもの見ただろう?」

くつくつと笑う。

「さて…次はもっと”良い者”見せてあげる」

















静寂、それだけがこの世界の全て。















「この時計」

唐突に俺は口を開く。

「ある意味”本物”なんだけど、”偽物”なんだ」

彼女は「意味が分からない」と無言で言う。

「この銀時計は確かに500年前に見つけられたものなんだけど、その頃”永久機関”なんて存在するはずもなく、この時計は発見された当時止まっていた。それをあの美術館のオーナーが”永久機関”だと偽って”目玉”にしたわけだね。「500年の時を刻み続ける時計」。もちろん人はそれを見に来る。でもそれって歪んだ芸術じゃない? だから俺は盗んだ。”レンレイの手中でこの時計は永久に時を刻み続ける”…なんて神秘的だろ?」

それがあなたの盗みの目的? 彼女は問う。

「4割ぐらいかな。”永久機関”の存在によって人々はそれを求めた。「こんな時計があるんだ」って簡単に言えば夢を持ったわけだ。キミは”まだ知らない”だろうけど世界には”化け物”がいて、その”最も強い夢を食って成長する”っていうタチの悪いものも確かに存在する。俺達はそれを”夢魔”と呼び、退治している。世界各地にいる芸術泥棒サン達は皆”夢魔”を倒す為に盗みを働いているんだ―――通称・夢魔狩り―――。いつか真の意味で”夢”を得られるその日まで」

”夢魔”に食べられた人間はどうなるの? 彼女は問う。

「夢魔は1つの作品に”憑く”生き物で、食べる夢も1人までと決まっている。夢が食べられるごとに人(1人)は精神を破壊され、完食された時には…死ぬ」

それを私に言ってどうするの? 彼女は問う。

「さぁ、俺も分からない。でも知ってほしかったんじゃないかな、そんな者が存在することを。そして俺の”盗みの意味”を」















静寂、それが破られ、世界はズれた。













学校、そこは閉鎖された世界。

それ故、その世界からは逃れることはできない。

ここは”そういう場所”なのだ。

俺の手から離れた銀時計が光を纏い、宙を彷徨うようにフラフラと浮遊する。

異様で異質な光景。

しかし、それは世界の全てを物語る光景ともいえる。

「これが夢を食う者」

呟き、慣れた素振りで眼を瞑る。

光が解き放たれ、視界を白が覆い隠すと、それは咆哮を上げて現われた。





赤い眼光は世界を射殺し、紡がれる言葉は世界の理、邪悪な瘴気を身体全体から放ちながらもその姿は【ラファエロ】が描く聖母のように優雅で美しい。

漆黒のマントを纏い、人の形をした人ではないもの。

「あれが…」

「―――――夢魔、それもかなり大物だ」

どす黒い煙が体中から漏れるように噴出し、苦しそうに呻き声を上げている。

「どうしたのかな?」

「静かにしていろ、殺されるぞ」

「誰が殺されるものですか!」

刹那、獏羅の殺気に似た感覚に夢魔は身を震わせ、右手を掲げた。

それは、筒。

以前はあったのであろう右腕の代わりに黒光りする筒がそこにはあった。

「死」

烈火の瞳が獏羅を射て、夢魔は呟く。

同時に筒の空洞が、瞳と同じ色に輝くとそれが収束し、球状のものを吐き出す。

サッカーボール1つ分ぐらいのそれは、光を超えた速さで突き進む。

闇夜に轟音の波紋を残し、それを放った反動で夢魔の身体はゴロゴロと地を転がる。

宇宙で人間が自由に活動できないように、夢魔もこの場所に慣れる事ができていないようだ。

しかし、その姿を滑稽やら大げさやら言っていられるほどの余裕は俺達にはない。

狙いを定めることができなかったのか、わざと外したのか。

その光は獏羅の髪の何本かを奪い、校舎へ突っ込む。

光が放たれた時とは違う、それよりは余程現実的な轟音が響き、破砕音と共に何かが崩れ落ちた。

「嘘……」

ほぼ同時に自分達の背後を見た俺達はその事実に愕然とする。

地響きを上げながら”沈む”といっても過言ではない。

今崩れ落ちているのはあくまで”残り”で、本質は別のところにある。

球体は校舎に接触したと同時に膨張し、体積を急激に増加させながら校舎を飲み込み抉ったのだ。

元は1つだった校舎が2つに分かれている。

そこにあった筈の部分は世界から消失し、夜風と共に俺達の思考から忘れ去られる。





「もしかして…もしかすると俺はとんでもないものを呼び覚ませてしまったのかもしれない…」







”とんでもないもの”はニヤリと不気味に笑う。



「我が名は【ナイトメア】。忌まわしき”銀時計”に封じられし夢魔の王」








「王様だってさ?」

「疑問系で言われても返答のしようがないだろうに…ともかくあの【ナイトメア】ってやつが夢魔のボスっつーのはお分かりいただけたかな?」

獏羅は小さく頷く。

「ヤツは500年前、当時の夢魔狩り達が封じた夢魔王。道理で現代技術では不可能な大砲があるわけだ…」

「? どういうこと?」

「【Concealed Technology】というのを知っているかな? 今で言うオーパーツだ。存在しない技術のことだよ。あの右腕にはそれが施されている」

「なんでそんなものがあるのか、なんて聞かないわ。今この状況はどうするべきなの、夢魔狩りサン?」

「俺の十八番♪」

その言葉だけで意思疎通を交わした獏羅。

「まぢ?」

「……せーのっ」

至って冷静に俺は言うと、掛け声を上げ…。

夢魔王と向き合っていた身体を反転させ、2人は走った。

敵意、殺意共に満々だった夢魔王は呆気に取られ、動くことすらできないでいる。

立ち尽くすその姿は王の風貌どころか、失業したサラリーマンを連想させる。

俺達の姿が全く見えなくなると王は口元に浮かべた微笑を絶やす事無く闇と同化し、消えた。

世界に再び、王が光臨した日。

それは地球温暖化が深刻に思えてくる、蒸し暑い初夏の一日。







「ひとまず、今回は見逃してあげるわ」

ビルの隙間を縫うように駆けながら獏羅は言った。

「いつも見逃してもらっている気がするのは…」

「気のせい」

「…そういうことにしておきましょう」

「あの学校、どうするの?」

「どうする、とは?」

獏羅は、あのオーパーツとやらで作られた大砲によって破壊された校舎をいっているのだろう。

「あのまま放っておくの?」

「俺自身は何もしないが、恐らく政府か……同業者が直しておいてくれるだろうね」

政府、というワードに獏羅は機敏に反応する。

まぁ、彼女自身も一応”政府”の者なのだから当たり前か。

「夢魔の存在って警察も知っているの?」

「総理大臣と直属の部下…日本でいう大臣クラス、警視庁幹部くらいの人間は皆知ってるよ」

「アンタ達って何なの?」

「………夢魔狩り」

今の彼女には、そういうしかない。

世界はあまりにも矛盾で不可思議で、謎めいていることが沢山あるのだ。

彼女が真実を知るには・・・・・・まだ少し足りない。

「では、俺はココで失礼しよう…綺麗なお姉さん」

ビルの屋上を蹴り、俺は闇と化す。

わざわざ赤面する獏羅を見届け、何か言い返そうにも言葉が思い浮かばないのであろう、やりきれない表情がそう語っている。

「バイバイ、憎たらしいお兄さん」

深く俯いた少女の唇からは、確かにそんな言葉が漏れたのだが・・・・・・。

俺が気付くことはなかった。





















紙面に踊る「怪盗レンレイ! 一ツ橋美術館より【永久永劫の平和】を盗む!」の文字。

それを見て恐らく愉快に笑っているのだろう警視庁長官こと俺――――【一ノ太刀 鬼丸いちのたち おにまる】は長官室の豪勢な椅子から立ち上がる。

新聞を折り畳み、デスクへと放り投げると脇に立て掛けてある日本刀を手にする。

柄を掴み一息で引き抜くと、白金の刀身が朝の太陽の光を反射し怪しく輝く。

刀身を愛でるように眺め、一薙ぎ。

刃が空を裂き、音という音が消え去る。

「夢魔王………彼らの時代にやってきおったか…」

木霊する”化け物”の声。

「再び、戦場へ復帰する日が来るとは……500年ぶりか?」

アゴヒゲを撫で、刀身に映る我が身を見る。

額に赤黒い角の生えた、その姿は”鬼”。















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