いつからだっただろう。
あの人の笑顔があんなに心地良く感じるようになったのは――――。
見上げる空は青と灰色が入り混じり、今にも降り出しそうな天候になっていた。
「そういえば、あの日もこんな天気だっけ」
等しく刻まれている筈の歴史に、彫られる資格の無い2人。
あの人は示したいと言った。
自分の存在を、価値を、生き様を。
あの人の傍で私は言った。
「無理だよ」
どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。
もう一度あの日をやり直すことができるなら迷わず私は・・・・。
「言わない・・・・んだろうな」
刻まれないことが世界が私達に与えた生き様であり、価値であり、存在であるから。
「だからいつも最後の最後で失敗するんだよ、雄一郎」
どれだけ力を注ぎ、時を重ねても。
「私達が”私達”である限り・・・」
それは終わらない。
風景の中に目的地である霊山を捉える。
標高800mを超える山の頂上。
そこには【基督教徒神闘者】の総本山・大村家の屋敷があり、アヤメちゃんと篠丸さんがいる。
私―――【φ】は目前に迫り、聳える霊山を見上げた。
麓近くから見上げる霊山は途方もなく高い。
このまま通常ルートで登れば50分・・・全速力で走っても20分はかかる。
それではこの他方から高速で接近している気配が先に屋敷へ到達してしまう。
「前方は・・・まさか【夢魔王】!!!?」
図られているのだろうけど・・・タイミングと、相手が悪い。
「あとは・・・・頂上近くの気配は――――”鬼”? これも貴方の計算の内なら大した根性ですよ、ホント」
後方で静止した気配に投げかける言葉。
答えるように超大な爆発音が空気を振動させた。
「(死なないでくださいね、ユッキー・・・)」
一瞬だけ後方に向けた意識を前方に回す。
今度は私が、死なない番だ。
”王”と”鬼”の実力は私が知る限り互角。
だからナイトメアの相手は鬼とその連れに任せる・・・あとは2人。
恐らく彼らは空を移動している。
進行に障害物の有無を感じないからだ。
「(と、すれば飛行能力を担っている敵が1人。戦闘力はそれほど高くない・・・これは基督教徒神闘者にどうにかしてもらうとして)」
問題は残りの1人。
ナイトメアの気配に掻き消されて感じることができなかったが、これもなかなか手強い。
「(本気になった”ユッキー”よりは強い・・・でも”レンレイ”ほどじゃないね)」
これは私が殺る。
さっさと殺って本命を叩く。
その為には早くこの霊山の頂上に辿りつかなければならない。
「(余力はまだある)」
意識を洞察から移動に切り替える。
そして私の意識中に眠る【セーレイズ】を呼び起こす。
セーレイズは一度で最大400mの瞬間移動を可能にする。
「(足で400mまで登ってセーレイズを起動させれば10分で頂上までいける・・・筈)」
何分私は先の事を考えて行動するっていうのが苦手だ。
正直に言うと計画通りに事が運んだことなど一度もない。
「(でも今回は間に合わせる)」
地を蹴って登山道に入る。
自然の緑を堪能する暇など無い。
あるのはただ、
「(アヤメちゃんは殺させない!!!)」
その明瞭な意志のみ。
「当初の取り決めの通り」
我――――【夢魔王】は空より大村の屋敷を見下ろす。
そこには度々の連戦で戦力をほぼ失った【基督教徒神闘者】どもの空虚な姿は我に一時の愉悦を与えた。
人の作り上げたものは何と儚く脆いことか。
我は今、天下が【無垢白鷺の籠手】によって作り出した蝶の上に乗っている。
イノセンスは起爆だけでなく、天下の意志で本来の蝶としての機能も得ることができる。機能といっても蝶にできるのは飛ぶことぐらいだが。
「【天下】は屋敷の破壊を。【フランク】は我と共に団長のシナリオに沿う」
後ろにいる天下は、はい、と肯定を言霊にして発する。
しかしその傍らにいるであろうもう1人の同志は存在感のみで我に頷いて見せた。
【フランク・セルベンティルス・マーキーズ】、それがその老人の名だ。
白髪に白色人種独特の肌の白さは深く刻まれた皺をより一層深く見せていた。
マーキーズとは侯爵を意味している。彼はその位に相応しく、全身を黒のタキシードで包み、剣ではなくステッキを突いている。
頭脳では団長に負けず劣らず、戦闘力では天下を軽く凌いでいる。
どうも我らの頭脳係達は紳士らしさを意識しているように思える。
1人は間違いなくエセだが。
「それはよろしいのですが・・・」
割り込む天下の声に躊躇いが帯びる。
「大戦士【φ】、歴戦の鬼【一ノ太刀 鬼丸】を相手にナイトメア様とフランク侯爵といえど勝利は難しいのでは・・・ここは団長が合流するのを待った方が・・・」
「団長の合流は無い。天城家からヒオナの気配が途絶え、そのヒオナを倒した者と団長が戦っている。それ故にφがここに来れる。アイツのことだ、あとの事は我達に任せる、ということなのだろう」
【セーレイズ】が健在のφと歴戦の鬼。
どちらを相手にしようともフランクの負担は大きい。しかし、ただ目的を果たすという面でならフランクの存在は必須。
「フランクはφを相手してもらう。鬼丸の剣捌きはお前の”芸術兵器”と相性が悪いからな」
「確かに、長物を持つ相手に老衰の身では万が一の勝ち目も無いでしょうからな」
皺くちゃの顔を歪めて笑う姿は確かにしがない老人にしか見えない。
「まぁ、上っ面なら団長も・・・φも似たようなものか」
呟いた言葉が彼らに聞こえているのかいないのか分からない。
ただ喉の底で笑うフランクの声だけは不思議と耳に残っていた。
この屋敷には裏門というものがあり、そこを抜けると白砂利が敷き詰められた広大な庭へと出る。
時代劇で、武士同士が城内で決闘する時の場所のような・・・まぁ、とにかく庭だ。
「この場所に来るのも久しぶりだな・・・」
私――――【大村 アヤメ】は腰を沈めて、その砂利をすくうように手に取る。
砂利のひんやりとした感触は、やはり2日3日触れなくとも変わることは無い。
しかし、今触れておかないともう触れることができないような、そんな予感もあった。
「私は悲劇のヒロインかっての・・・」
ヒロインで終わることができるなら、まだ幸せだろう。
ふっと庭一面の白が薄暗さへと変わる。影だ。
私は反射的に空を仰いだ。空を綺麗な白い何かが埋め尽くしている。
私の視力は至って普通に両目とも1.0だ。
だからその何かが四散した時、それを”何か”だと認識し思考する前に気付くことができた。
水面を撫でるように柔らかく、私の動揺と困惑の呼吸よりも静かに、彼は降り立った。
「娘よ。お前を基督教徒神闘者の正統な血縁者。大村アヤメ嬢としてお見受けする」
真紅の瞳に狂気を宿し、夜色のマントを揺らめかせ、男は言った。
右腕に筒状の義手を嵌め、それがこちらを向いた時やっとそれが大砲の形状に近いものだと認識する。
そしてその砲口であろうものが瞳と同じ紅蓮色に染まった刹那、私は本能的に横へ飛んだ。
再び視線を男に戻した瞬間、後方で何かが炸裂した。
「我が名は、ナイトメア」
ゆっくり、振り返る。
「我に託された使命は基督教徒神闘者の根絶」
「こんなの・・・」
屋敷が、”刳り貫かれていた”。
側面を綺麗な円形に”抜き取られている”ような感じだ。
その向こうを見れば屋敷を介さずして風景を望むことができる。
「こんなのを相手にしていたの、貴方達?」
今は亡き、戦闘に狩り出された神闘者達を想う。
こんな化け物を前にして逃げることも許されなかったのだろうか・・・それとも逃げることすらできなかったのだろうか、いや本当はそのどちらでもないんだ。
「(逃げる気なんて起きないよ)」
さっきまで命に代えてもこの屋敷を、想い出を守ると意気込んでいた意志が音を立てて崩れ去った。
精神を圧倒する絶望に跪くこともできない。
私は立ち尽くしたまま、悟った。
ホント、カッコワルイ。
「こんなのって・・・・・・・・・ないよ」
赤の収束が再び私に向けられる。
”話には聞いてたけど”こんなにヤバイなんて
「一息に殺さぬところは昔と変わらんな、ナイトメア!!」
「この場景も雄一郎の描いたシナリオなのでしょうか・・・。ま、どちらにしろ。私達を相手に貴方1人とは舐めてますね、彼は」
同時に複数の炸裂音が木霊する。
ナイトメアの右腕の大砲を、初老の男性―――【一ノ太刀 鬼丸】によって制され、もう一方を【φ】の手が御していた。
私がこのナイトメアと出会う少し前、すでに私は鬼丸とφにすでに遭遇していた。
私はこの見晴らしがよく戦いやすい庭園に誘い出す囮。そして彼は誘い出された。
それが腑に落ちないのか、φの口元は僅かに歪んでいた。
「雄一郎の言っていた演出とはこのことか」
ナイトメアは限りなく低い声で言った。
「まだ中盤ほどでくすぶっていた【one summer days】を無理矢理、終盤の方まで引き進めたのですからね。さすが、賞賛すべきなのでしょう。あの狡猾さを」
「確かに我らが暴を交えなければ”皆が望む終焉”には近付くことすらできない」
「要するにハメられたわけか。遠藤家の壊滅はワシを釣る餌・・・」
鬼丸は鷹のような眼光をより一層深めてナイトメアを睨む。
「思い出話に花咲かせるのも一興。しかし何にしろ、我らに語る”言葉”は必要ない」
ナイトメアが、笑った。
くつくつと喉の奥を鳴らしながら、その真っ赤な瞳は一度閉じ・・・やがてゆっくりと開く。
「開戦」
その言葉と同時に繰り出された左ストレートは、φの身体を持ち上げ、そのまま繰り出される。
形だけの束縛で止められるほど、やはりナイトメアは甘くないということか。拳撃のガードは間に合わない。
止む無く機怪刀ごと右腕の制止から離脱し、後方へ飛ぶ。
φは何が起こったのか分からないといった風貌でナイトメアの左腕にしがみ付いていた。
「・・・滅茶苦茶しますね、貴方」
呑気に口元に微笑を湛えてナイトメアに笑い掛ける。
「随分と余裕だな?」
「えぇ、だって、私」
視界からφの姿が掻き消え、次の瞬間、ナイトメアの後方へ現われるという動作がここからでははっきりと分かった。
「接近戦無敵ですから♪」
空中で腰を捻り、鞭のようにしなり放たれる回し蹴りはナイトメアの頭部を噛み、勢いそのまま吹っ飛ばす。
まともに喰らえば俺でも意識を失いかねない一撃だったのだが、神がかった反射神経と戦闘センスは彼に蹴りの方向に沿って飛び、ダメージを受け流すことを許した。
しかし白砂利の上を走るように転がっているところを見れば相当なダメージを負っているのだろう。
運動が静止した今でも起き上がる気h
「鬼丸!!!!!!!!!!」
φの咆哮は1分でも油断してしまった俺――――【一ノ太刀 鬼丸】に後悔の念を抱かせる。
ナイトメアは起き上がることなく、いや起き上がる動作途中で地を蹴り、俺との間合いを詰めに来た。
「1つ言っておこう」
それはφと全く同じモーションでの回し蹴り、しかしこちらに向かいつつ放つことで破壊力は数倍跳ね上がっている。しかし。
「俺の防御力は貴様らの比ではない」
「ならこれを受けて同じことが言えるか?」
その言葉にナイトメアの蹴りが止まった。良い判断だ。
そして俺が左ストレートを回避したときのように後方へ退く。
しかし、それだけでは足りない。
俺は機怪刀・霧隠レの柄を握り締め、振り抜かれる不可視の刃は空を駆け、身を裂く。
避け切れなかったナイトメアの上半身に刃跡は・・・3つ。
どこからも血が噴出してはいるが、切れたのは皮膚だけのようだ。大してダメージは無い。
「・・・・・・・・・・・ワンモーショントリプルクイック。通称は【黄泉返し】だったかな?」
「懐かしい呼び名だな」
【黄泉返し】。一振り目を中段で振り抜き、二振り目は刀身を返して切り返すと共に一度鞘に収め、三振り目は居合いの要領で最速の刃を叩きつけるという動作を一瞬で行うオリジナルの技だ。
技といっても実際はかなりの割合で力技の域を抜けないが。
過去これを見切り完璧に回避した者は2人しかいない。セーレイズでのφと、肉体の運動で回避したあの黒髪の泥棒”レンレイ”だ。
「これを避けられぬことが分かったなら、もう様子を見る必要も・・・」
「・・・・くっくく。はっはははははははははは!!!」
声を出して笑う目の前の男は何故だろうか、先程とは別人のように見える。
「鈍ったな、鬼丸よ。500年の時を経て、我が手にした力の片鱗を見せてやろう」
砲口を俺に向け、ナイトメアは高らかに言った。
「っていうか、私無視されてません?」
口元を尖らせて文句を垂れるφに、ナイトメアは鼻で笑い、言う。
「邪魔をされては困るからな。相手は用意してある」
「わーい。三下ならクーリングオフですy
刹那、φの姿が流れるように消えた。セーレイズではない。
俺が見たのは三輪車が全速力で走るトラックに衝突されたような、何の抗いもなく圧倒的な破壊力を持ってして吹っ飛ばされたφ。
案の定、視線を移動させるとφは地に伏していた。そしてノソノソと起き上がるとノラリクラリと辺りを見渡す。
「・・・・・・へぇ」
そして自分を吹っ飛ばしたものの正体を見ると、緩んでいた口元が鋭く引き締まる。
先程までφがいた場所に”それ”がいた。
その小柄な老人はタキシードとシルクハット身につけている。団長と変わらないのは剣が杖なところだけか。
一見温和そうな雰囲気を持ちながら、しかしその正反対の意思を滾らせた眼光は俺と似た鬼の目。その目を糸のように細め、何が可笑しいのかニヤつく老人の姿はどこかおぞましく感じられる。
「いやはや失礼。少々挨拶にしては手荒すぎましたかな」
「いえいえ、私もかつては大戦士と呼ばれた者ですから、こんな事を気にするほど人間狭くないですよ? ただ・・・」
その言葉に続くであろう言葉は容易に想像できる。
きっとφはこう言うのだろう。
「「お前、ちょっと図に乗りすぎだ」」
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