ナイトメアの防御能力は自らで自負したように肉体的に人間である俺達とは比べ物にならない。

皮膚が甲殻化しているとか、そもそも夢魔という存在がどれもこれも頑丈であるわけではない。

防御とは単に敵の攻撃を防ぐことではない。

いかにして最小の動きでダメージを殺すか、それが防御の概念である。

その点で、やはりこの男は秀でた存在である。

ナイトメアは500年間、銀時計の内より―――実際は人間に欲というものが存在した時代から―――あらゆるものを見てきたのだろう。

その中には俺達が簡単に見ることが出来ないもの、知ることの出来ないものが無数にある。

俺達が体験・体感できない世界で彼は知ったのだろう。

人間というものがどんなものであるかを。



そうでなくては、と俺は流れるような動作で、神速で繰り出される黄泉返しを回避する男を見る。

恐らくこの男の頭の中では、明確に再現された生々しい人体ともう一人の自分とが戦っているのだろう。

次に敵がどう動くのか、それに対しどう動けばいいのか。

歴戦の鬼と呼ばれた俺――――【一ノ太刀 鬼丸】でさえ確信がもてないものを彼は迷いなく実行する。

それは世界を、人間というものを知ってきた者のみができる芸当といえる。

一度超えた筈の壁は今、再び高さを増して俺の前に立つ。

「(これで手にしたものの一部だというのか!?)」

一瞬垣間見た、高き壁の向こうは光ではなく、暗黒。刃を奮う手が刹那、久しい恐怖という感情に止まった。

この隙を見逃す男ではない。丸太の様に鍛え上げられた腕と全身のバネにより放たれた拳は俺の開いた腹部に向かって投げられる。

受ける覚悟で腹に力を籠める。半瞬、しかし、放たれた筈の殺意は霧散するように掻き消えていた。

ナイトメアの姿と共に。そしてそこには、

「ごめんなさい、長官。投げちゃいました・・・テヘ」

「大人しくしていろと言っただろう・・・・」

申し訳無さそうに謝る【獏羅 香織】の姿。





そこで何が起こったか、俺は確かに見たのだ。

拳撃が繰り出された瞬間、割り込むように俺とナイトメアの間に入った彼女は迫る拳に、腕に、絶妙のタイミングで自らの腕を絡ませ、抱きかかえるようにして投げ飛ばしたのだ。

完全に相手の勢いを利用した投げ技。投げ飛ばされたあの男はその方向、突然の乱入者に驚き受身も取れなかったか、砂利に手をつき、起き上がっている最中だった。

ひたすらペコペコしている獏羅を俺は視線で諭すと、ナイトメアを見るように促す。

眉を寄せ合わせていた顔が神妙なものになり、スイッチが切り替わったかのように彼女の雰囲気は一変する。

何故、どうして、そうなのか、俺はその寸前まで分からなかった。

完全に立ち上がったナイトメアは俺にさえ見せることのなかった”構え”をとる。

左の拳を沈められた腰で止め、右腕は無造作に投げ出された形で静止し、横開きに立つ。

「これは・・・」

「ど、どこで覚えたんでしょうね」

この構えを俺は見たことがある。獏羅の顔を見ると、やはり驚いているようだ。それは紛れも無い。

【羅流舞闘総統術】。











彼女がレンレイと戦闘面で対等に渡り合えて来れたのはこの【羅流舞闘総統術】がもつ”総合性”の力だ。

色々な種類がある中国拳法を始め、日本が生んだ柔術、ボクシング、レスリング、剣道などほぼ全ての武術に精通するのは、それが武術であるが故の攻めである。

総統術はそれら全ての武術の”攻め”に対応して動きを変えることで放たれるカウンターを主としている。

それが身体能力の差を埋め、レンレイと互角に渡り合うことが出来る所以だ。

しかし同じ総統術同士が戦った場合どうなるのか。俺は見たことが無い。

獏羅は攻撃・守備・速度のバランスが高レベルで取れた武道家だが、ナイトメアとは生物としての差がありすぎる。

興味はあるが、そうも言ってられない。だが、俺が獏羅の動きを制すよりも速く、彼女は一歩踏み出していた。

「なっ、待」

制止の言葉も間に合わない。

彼らの間合いはすでに総統術でなら射程距離に入っている。

俺は機怪刀を構え、大地を蹴った。このままでは彼女は殺される。

そう思った、刹那。目を疑った。

2人の身体が肉薄し、放たれた矢のように吹き飛ぶのは、ナイトメア。

思わず駆ける足を止めた。黄泉返しを余裕を持って回避することが出来るあの男がこうもあっさり吹っ飛ばされるという事実を受け入れられない。

獏羅の元まで寄ると、彼女は無表情で、しかし瞳に炎を滾らせ立っていた。

「まだ使いこなせてないみたいですね。生半可な羅流舞踏が通用するほど私は伊達に師範代じゃありません」

「・・・・・羅流と羅流がぶつかると、何が勝敗を分けるんだ?」

警戒は怠らずに、獏羅に問う。彼女は酷くあっけらかんとした口調で、

「気合です」

「気合?」

「羅流舞踏総統術は”美を用いて闘いを制する”ことにあります」

それは聞いたことがある。

「でも結局の所、物事に向ける意志の強さが羅流の場合”美しさ”であっただけで。意志の強さとは、即ち”気合”なんです。相手より一歩、恐れずに踏み出すことで世界は変わります。でも」

目の前の空間を見つめていた瞳は再び起き上がる羽目になった男に向けられる。

これほどあの男に屈辱を与えたのは彼女が初めてではないだろうか。

「あの人は過信してるんです、自分の力を。多分、気持ちの力を知る前に、彼は強すぎたんです」

どこか自嘲めいた口調に彼女は僅かに表情を緩めた。

「”心は体を凌駕する”。羅流に限らず、きっと全ての武術がそうであるように。今、私も超えなきゃならないんです、きっと」

「(レンレイを倒すのは自分、か)獏羅クン」

一歩踏み出た俺を、彼女は見た。

「下がっていてくれ。これは・・・・」

そう、これは。

「ワシの闘いだ」













「歴戦の鬼と謳われたワシが教えられたよ、あの娘に」

極めて落ち着き払った口調で鬼丸は我――――【ナイトメア】に言う。

「この500年の平和の時間はワシに衰えだけを与えたかもしれない。だがな、」

そして、鬼丸であった筈のそれは、形を変えてゆく。

暗い殺気を纏い、皮膚もそれに準じて色濃くなる。

額に鬼と称される所以である一角を伸ばし、それは真なる鬼の顕現。

戦闘力は人間の形である時の約5倍は跳ね上がる。

「守らなければならない未来がある。その未来に、我らのいるべき居場所は無いのだ・・・ナイトメア!!!!」

哮る鬼は不可視から漆黒へと様変わりした刃を向ける。





「災厄を謳え、機怪刀・霧島躑躅!!!」





初動は一瞬、黒の刀身が牙を剥く。

暗黒色の軌跡と共に刃は空間を撫でながら直進してくる。

剣筋から大よその狙いは見えてくるものだが、鬼丸のものを見続けるのは自殺行為に近い。

黄泉返しを放つスピードは最早視覚動作でかわすことができるものではない。

研ぎ澄まされた感覚下でやっと攻略できる神速の域。だが。

「(速力が・・・・増すのか!?)」

横薙ぎに通過した刃は胸を薄くだが裂き、それは脳裏に浮んだ疑問を確信にする。

「(いや、視覚に捉われ、我の速度が落ちている)」

先程の我は感覚と洞察による先見により、一歩早く運動することができた。

しかし、黒という印象に残りやすい色は我の視覚のみによる決断を迫らせ、我に迷いをもたらしたのだ。

このままでは鬼丸の思う壺だ。我は瞳を閉じる。

一面黒の世界で、風を切る音、その気配、刃にこびり付いた血の臭いを感じる。

「感覚全てに訴えかけろ」と我は哮るように脳に命令を送る。

そして、鬼丸の次の手。

肉体の屈伸を利用した「突き」の刃を回避すると同時に我はカウンターを狙う。

そう決断した刹那。

「(なぁっ!!!!?)」

突きの格段に速度が増した。違う。

気配が伸びている・・・・・・・・!!!

堪らずに瞳を開いた。この状況下で曇り空の太陽光は神が我に与えた幸なる偶然に等しい。

すぐさま視覚がクリアになり、そして驚愕する。

目前にまで迫る刀身。しかし、それは・・・。

我は横のめりになりながらその侵攻をかわし、間合いをとるため後方へ飛んだ。

しかし、刃だけ・・・はその動きに対応し、追撃する。

それを眉まで1cmのところで砲口により刃を受け止める。

刃は弾かれ動きを止めるが、その異常さだけは我の身にまとわりついていた。

「(バカな、こんな力、我は知らない・・・)」

その長さ・・・三丈三尺三寸(約10m)の刀身が伸び・・・いや、聳えていた。





リーチが半端なく長い。接近戦を主体とした戦術の我にとってこれほど不利なことは無い。

この500年の時の流れの中で我が見てきたものの中に羅流舞踏総統術というものがある。

それは武術が何のために必要とされたのかを再び知る要因になり、その要因とは何なのかと問われれば我は「相手を制する術」だと答えるだろう。

”相手”にも色々あり、「素手と素手の戦い方」や「素手と武器を持つ者」との戦い方など場合は無限に広がる。

その中で羅流は”相手を制する”ことに特別秀でたもので、我が見てきたどの武術よりもその対応力は類を見ない。

だから長物の刀に対する戦い方も心得ているはずだが、この霧島躑躅は別格というか刀であるのかすら怪しい。

霧島躑躅の能力は”霧隠レと同重量で質量を大幅に増幅させる”ことにあるようで、スピード自体は先程と変わりない。

しかしここまで縦横のリーチが伸びれば、このスピードは脅威というより出口の無い迷路のような難攻不落の要塞である。

鬼丸の斬撃はmm単位のこの上なく繊細なものに変わっている。

重量が変わらないとは言え、ここまで長ければ射程距離ギリギリで回避している我に有効打を与えるには手首の動きのみで刀を振るという運動に変えざるをえない。

その一撃一撃は”見える”という心理作用が働いては確実に我を追い詰めつつある。

「(唯一の中距離攻撃手段である”砲”の仕組みも見抜かれていては・・・)」

一瞬、右腕に備わる大砲に目を移して離す。

「・・・・そうでもないか」

意識の70%を刀に向け、残りの30%を右腕に集中させる。

右腕の砲【カタルシス鑑賞的確率変動砲】の口に紅蓮が宿り、今か今かと解き放たれる瞬間を待っている。

カタルシスの赤光には物質と物質の結合を一時的に外し、”確率”を用いて再結合するという能力が備わっている。

という一言だけで理解できるなら、そもそも人間が生み出した言葉は酷く便利なものだ。

机の上にリンゴがあったとする。そのリンゴにカタルシスを用いれば、瞬間的にリンゴは原子レベルにまで分解され、そして瞬間的に違う物質になる。

この結果がバナナになったりだとか、原子が空気中に分散して消え去るだとか、天文学的な数値でそれは様々である。

この能力の不便利さは我の意思に関係なく物質の再結成が行われる点にある。まぁ、そのほとんどが構成されずに消え去ってしまうのだが。

そしてカタルシスにはもう1つ能力がある。

球体で放たれた赤光は物質に触れることにより膨張する。即ち体積を増し、所構わず物質の分解と再結成の能力が発動してしまうのだ。

「(全く不便な力だ・・・・だが、これで霧島躑躅とやらの種が分かるというものだ)」

芸術兵器の粋を出ぬ以上、そこには必ず種がある。それなら話は早い。

「(その刃ごと消し去ってくれる)」

回避運動と一緒に大きく大地を蹴り上げ、飛翔する。

そしてその間にカタルシスに力を収束させる。今放てば、軽く民家一軒を飲み込むぐらいの表面積になっているだろう。十分だ。

追うようにして鬼丸が地を蹴るのを確認して、我は洞察に全神経を注ぎ込む。

砲口が轟音と共に炸裂した。





カタルシスから逃れる手段は2つある。

1つは普通に回避する方法。もう1つは自分の身体に届く前に、何かを中継させて打ち消す方法だ。

先程、アヤメ嬢に放ったカタルシスもこの2つ目の方法で相殺された。

「(しかしこの質量のカタルシスを打ち消すことができるものは、その霧島躑躅のみ)」

鬼丸に光速で迫る巨大な赤の球体。

我の視界は赤く染まり、赤が更に質量を増した刹那、カタルシスを物ともせずに迫る刃を砲の側面で受け止める。

「(いや)」

能力は発動していた。

砲に接触すると共に漆黒はパラパラと崩れ、落ちていく。

単に再結合が遅れただけだ。機怪刀は最早、残っていても柄ぐらいのもの。

本当に霧隠レしてしまっては笑い話にもならないが・・・・・・・・違う。

「(物質の結合は個々によってでも”これほど大きなタイムラグは生じない”。なら!?)」

この崩れていく霧島躑躅はカタルシスの影響下にあると言えるのか。

「(否!!)」







頭上を影が掠める。







「機怪刀の本来の使い方は別にある。それは機怪刀の原点に基づくものだと言っても過言ではないのかもしれない」

空中で身を捩り、反転する。

それは銀色の刃。鬼丸の身丈もの長さではなく、至って普通の刀。

しかし何故それが今男の手に握られているのか。何故我の上にいるのか。

「(そんなことはどうだっていい!!!!)」

神速と共に振り下ろされる刃。それは紫電一閃の煌きをもって衝突する。

刃を受けた右腕に身に受けるものの万倍にも等しい重力過負荷が圧し掛かり、銀光は真っ二つに折れ、弾け飛ぶ。

投げ飛ばされるよりも激しい衝突に我は抗う術もなく地面に直行する。

「(体勢を立て直して接近戦に持ち込む。だが、その前に・・・)」

我は同じく落下する折れた刀身の切っ先を掴んでいた。

「痛み分けだ」

互いの不完全な刃が互いの肉体を、抉る。











粉塵が周囲を廻るように吹き荒れ、その中央に立つ長官とナイトメア。

序盤ナイトメアが長官の攻撃を避けて余裕ムードを漂わせていたが、長官の頭から角が生えて機怪刀が巨大化してからは一変、長官の押せ押せムードに変貌する。

まず長官が人外の生物に変異した時点で取り乱せよと自分の冷静さにツッコミをいれるが、長官がこのまま虎になっても龍になっても驚かないのだろうと私―――【獏羅 香織】は常識と非常識の境界が無くなりつつある自分に苦笑する。

戦局は彼らが宙を舞い、再び地面に足を着いた時点でほぼ5分と5分。

血というものに常人以上に適応力を持つ私でも、目を背けたくなる光景がそこにはあった。

長官の左目には折れた刀が突き刺さり、止め処なく”赤”が噴出している。

対するナイトメアは左腕がズタズタに引き裂かれていた。

あの一太刀にしか見えない剣撃の中で、恐らく長官の最速が男の腕をあんなにしたのだろう。

戦闘を続行する中で長官は不利な位置に立っている。

片目を失い、それに加えて長官は武器を手にしてはいなかった。

一度現実世界に戻ればこの”拒界”という世界で受けた傷は癒えるが、それは生きて戻れればの話だ。

長官は人間の姿の時に一度、レンレイに肉弾戦で打ち負けている。

一方のナイトメアは見て触れ合ったところ殴り合いが専売特許な部類に属している。

このままでは長官は・・・。

暗雲はこの霊山周辺を覆うように漂い、僅かにだが涙を流し始めていた。

粉塵は止み、空気がピリピリと肌を打つ。

微弱な静電気が全身を包んでいるような、そんな感覚。

その中で・・・



”それ”は唐突に訪れた。



静電気は膨大な質量を持った空気へと姿を変え、同時にそれが恐怖や殺意に似つかぬものであることを身体が悟る。

そして空気は振動し、地面が揺れているわけでもないのに、私は主人を失くしたマリオネットのように平行感覚を失っている。

どうなってるの、今。

「予定より遅かったな」

血の涙が頬を撫でナイトメアは口元を鋭く三日月のように歪めて言った。

その言葉に長官は何か思い当たる節でもあったのか声を荒げ、

「解放されたのか!!!?」

そう言うと私の方を・・正確には私の背にある屋敷を見た。

っていうかアンタ達はこの状況にグラつきもしないわけ?

「久々に楽しめたといったところか。まぁ、実りは我等のみに与えられたようだがな」

くつくつと喉で笑い、ナイトメアは私達に背を向ける。

「【One Summer Days Agains】は近いぞ。歴戦の鬼よ?」

一瞬、彼のいた空間が歪み、瞬きする間に、その姿は消えていた。





「掌の上で踊らされたというわけか」





長官は不機嫌そうに、そう呟いた。













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