「ヒオナは黒髪・・・レンレイの相手をしろ。俺はφを止める」
「分かりました」
ボク――――【ヒオナ】にとって団長の言葉はボクの背を押してくれる風のようなものだ。
自分から何をしようと思ったことなど団長に出会ったあの日から・・・つまり今までの生涯の内に一度も無い。
それは悪いことだと、自分で考える意思を持つべきだと皆は言うけれど、ボクはそうは思わない。
団長の言葉に是非は無い。
必ず是で、必ず非。
そんな完全無欠な言の葉を前にして人は果たしてその道の誘惑に打ち勝つことができるだろうか。
「(団長はボクを導いてくれる)」
いつだってボクの支えになっている言葉。
団長はボクを導いてくれる。
レンレイだか何だか知らないが、団長の邪魔はさせない。
レンレイが、黒髪が、グラリと揺れた。
銃声に近い衝突音、彼の姿が掻き消えると同時に気配を後ろ手に感じる。
僅かに漏れた殺気に上体を前倒しにすると案の定、頭上を手刀が通過する。
「攻防一体」
振り向き様に放つ魔道の炎。
人を丸呑みできるほどの体積を持つ炎は意志を持つようにそれは生を求めてうねりながらレンレイに突進する。
ほぼ零距離、回避は不可能に近い。
防御したとしても”魔道の効力は魔道によってでしか打ち消されない”という法則に似たものがある。
自然界の物質によって生み出されたものではない魔道の生産物は見た目や性質は同じだが、根本的には全く違う”自然”とは掛け離れたものである。
だが、彼は回避しなかった。
だからといって防御したわけでもない。
突っ切った、というのが正しいのかもしれない。
炎は口を開けたように綺麗にパックリと穴が開き、彼が突っ切った部分だけ抜き取られているようにも見える。
「(魔道で打ち消した・・・・・?)」
いやこの距離でそんなことできる筈が無い・・・今はどうだっていいか。
突っ切ったということは、ボクを守るものは無くなったということ。
初速を遥かに上回る速力が瞬く間に間合いを縮め、腕から下が風を巻き、空を裂いて、迫る。
速い。
「魔道火判第二曲」
だがそれだけのこと。
「炎幕」
先程の炎とは違い今度はボクの周囲を取り囲むように発現する炎、これでハッキリする。
炎が裂かれ、その隙間からレンレイの腕が、それを認知した時には身体の半分以上が炎幕に割って入っていた、やはり・・・。
「逃げ場ないよ?」
「それはどうでしょう」
ボクは炎幕の表面に触れて魔力を”注ぎ足す”。
「逃げ場が無いのは貴方です」
炎が、炸裂する。
炎幕には魔力を注ぐことによって術者の周囲を爆破するという追加効力が備わっていた。
烈火が視界を覆い尽くし、有機物を片っ端から燃やしていく。
団長は無事だろうか、これのせいで戦闘に水を差すようなことにならなければいいが・・・。
「!!!」
刹那、炎が大きく揺らいだ。
ただの横風に煽られただけかもしれない、しかし、そういうものではない。
自然のものではない、不自然な揺らぎがそこにはあった。
視界の赤が二手に分かれ、その真ん中をレンレイがゆっくりと歩んでくる。
一見して無傷。
灼熱を物ともせずに歩む足取りは炎そのものを道端に転がっている石ころのように微々たる存在として認め、全く表情を歪めず見据える先にはボクが、そしてボクが見る限り彼は先程の”彼ではない”。
素粒子レベルで存在そのものが変化したといった感じだ。
「(すでに発動した魔道を打ち消す方法は2つある)」
唐突に、団長に教わった魔道の法則を思い出しては頭の中で復唱する。
1つは魔道に相対する属性を持つ魔道をぶつけて相殺する方法。
そしてもう1つが今団長が滅ぼさんとする種族”【基督教徒神闘者】である”方法。
クリスチャン・ウォーカーの特性は外部の力を内部のものとして用いることができるという点にある。
彼らは魔道をその”外部の力”として内部に取り入れることによって打ち消している(と言うよりは吸収している)のである。
団長がこの種族を滅ぼす最も大きな理由は【裏の歴史】よりもこちらの割合の方が大きいのではないだろうか。
それほど危惧された存在、クリスチャン・ウォーカー。
今、まさに彼は・・・・。
「(いや、違う)」
”ただのクリスチャン・ウォーカー”なら”ただの魔道”でも充分に戦えたし、倒しもした。
だが彼はその”ただのクリスチャン・ウォーカー”の枠から大きく逸脱した存在。
「例えば」
彼は歩く事をやめずに言葉を紡ぐ。
「俺がキミより強い魔道使いだったとしよう。しかしキミは向かってくるだろう。何故なら俺の方が強いというだけで必ずしも負けるとは限らないからね。だが」
彼の指が右目を覆うモノクルを叩く。
「例えば俺がこの芸術兵器【逆理の夜警】を持つ【夢魔】でもあったとしよう」
芸術兵器・・・。
「魔道とは物質の集合体だ。いや、それは万物共通の法則なんだが人工的に”形”として作り上げられたものは原則的に質量を持つ。今、キミにとって重要なことは方法はともかく俺が瞬間的に魔道を打ち消すことができるのかなんだろうけど・・・そもそも前提に過ぎない」
レンレイはボクと数mの間を取って歩むことを止めた。
「【第二の眼】」
突然だった。
ブレーカーが落ちたときのような何が起こったかは分かっていても正確には理解できない、あの突然さ。
彼の周囲の空間が歪み、漠然とそこに何かあるというだけしか分からない。
「物理的干渉を完全無効化すると同時に、この歪みに触れたものはその干渉を”再現”する」
言葉など聞いていなかった。
恐ろしく、嫌な予感がする。
落ち着け、落ち着け。
「実は俺も魔道を少しだけ扱えるんだ。といっても、実際に炎や水を生み出したりできるわけじゃない。ちょっと操作できるぐらいのものだけど」
視線を動かさずに周囲を窺う。
炎は依然盛り、2人を取り囲むようにして煌いている。
「(この残った炎で”炎幕”を張り、爆発させて退く。これしかない)」
退く。
団長は”相手をしろ”としか言わなかった。
もう充分に時間は稼いだ、そろそろ警察も来る、拒界ではないからねココは。
・・・・ボクが団長の言葉に言い訳するのは初めてかもしれない。
「お急ぎのようだね?」
「!!!!」
「ならさっさと終わらそうか」
レンレイは片腕を突き出す。
「逃げ場が無いのは貴方です♪」
刹那、爆音が轟く。
それがボク達の周囲で起こっていることだと気付くのにそう時間は要さなかった。
「何をしたんですか!!!!?」
「・・・・・・キミが炎の球体を爆発させた時すでに【第二の眼】は発動していた」
淡々と、この爆発の中心にいながらも彼はさも楽しそうに語り始める。
「この【眼】は外的干渉を無効化し、再現する。よって物理的な攻撃手段である魔道の炎も再現される。あとはキミの炎に再現された炎を紛れ込ませるだけ」
爆音は止むことを知らないようにボクの鼓膜を揺らし続けている。
屋敷と呼べる和の建築物も堅牢だったはずの柱を爆発で失っては崩れるのも時間の問題だ。
いや、そんなことを言っていられる時間などないのかもしれない。
倒壊はこの爆発によって一気に促進され、いよいよこの戦いにも決着が付こうとしている。
「(ボクの敗走、少なくともそれは確定している)」
戦う前から――――などというのは詭弁だ。
強者に立ち向かう弱者の言い分だ。
精神論でどうにかなる程、ボク達の戦いは理想に満ちてなどいない。
「(どうやって生きる・・・どうやって活路を見出す)」
恐らくここで背を向けても彼は追ってはこないだろう。
もしくは背を向けた瞬間に死ぬかのどちらかだ。
「何突っ立ってるの?」
彼はさも不思議そうに鼻で笑っている。
意味が分からなかった、何故立っているかだって?
「言ったよな?」
何かが”来た”。
「さっさと終わらせるって」
背中を押されるような感覚と同時に全身が倦怠さに支配された。
いや、倦怠などという生易しいものではない。
それがこの男を中心に取り巻く負の感情の顕現であることを理解するには、現実的に時間が足りなさ過ぎたのかもしれない。
しかし、それがどれだけ危険なものなのかは本能が危険の叫びを上げたことによって理解させられた。
先程までとは違う空気。
もしこれが、人が出せるものなのだとしたらそれは限りなく神か悪魔に近い存在なのだろう。
黒の空気が漆黒の瘴気へと変貌した時、すでにボクの正気は狩られていたのかもしれない。
「敵意は向けておいておいた方がいい」
声は後ろ。
「ま。もう終わってるけど」
意識の消失、それはこの戦いの終わ―――――。
世界を変えて拒界の中。
ここへ来るということは私――――【φ】はまだ目の前の男を殺す気は無いようだ、お互いに。
拳を振りかぶり突進、彼は大剣――――散逸する魔道達とか言ってたかな――――の頭を持ち上げ、受け止める構えをとる。
でも。
「遅い」
突進自体を目隠しに【セーレイズ】で次元を飛び越え、【団長】の背後を取る。
振りかぶった拳を打ち込む、彼の身体はくの字に折れるが、そこはそれなりに知った仲だからだろうか不意を突かれた気配は無い。
攻撃を受けたが仕方ないといった感じだ。
・・・・いい加減、諦めたらいいのに。
セーレイズは始動の気配を感じさせない、彼の目には本当に”消えた”ように見えるはず。
しかし、現われた時には若干のセンスが必要になる。
その時に私の気配を漏らしてしまえば、それはただの移動に過ぎない。
だが逆に言えばそのセンスがある限り、体術が勝敗を分ける世界で私は無敵でいることができる。
今もそう、彼の十八番である魔道の呪文詠唱をさせる暇もなく攻撃を加え、病院に担ぎ込めば集中治療室で1年は大人しくしてもらわなければならない程の外傷を与えている。
何故立つことができるのか疑問に思うほどだ。
勝敗は歴然。
「ヒオナが負けた」
取りこぼしそうになったレメゲトンを引き寄せ、地面に突き立てる。
その柄にボロボロの腕を引っ掛けると鼻で笑って黒のシルクハットを被り直す。
「何者だ、あのガキ?」
「私の息子です」
「ウソつけ」
「ゴメンナサイ♪」
彼は溜息を吐くと苦笑混じりに口を開く。
「俺なら勝てると思うか? あのガキに」
「瞬殺でしょう」
そう、瞬殺。
「貴方が本気を出せば・・・」
彼も、私も。
「そう言ってくれて嬉しいよ。俺もまだまだ死を要求できる側の人間じゃないってことだ」
「化け物のくせに」
そう言うと彼は目を丸くさせて驚く。
あたかも自分が人間であるかのように、大げさに。
「俺が化け物? 面白いことを言うな、お前は化け物かもしれないが、俺は違う」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まさか、」
「永劫に等しい時に揺られこの力を手にした俺は”化け物”などという戦いに身を置いた愚の隷属ではない!!!」
哮る彼の言霊は魔力となって世界に語りかける。
刹那、彼はレメゲトンを中心に牢獄とも見える群青の球体の内にいた。
それがどのような作用を及ぼす魔道なのか、それ以前に魔道なのかどうかすら判別できない。
しかし漠然と分かるのは、とうとう彼が本気を出すということ、そして本気を出させる前に戦闘不能にしなかった己の怠慢。
球体は爆ぜて粉塵と化し、視界を覆う壁となる。
「理論と理想だった”共同体”に。【基督教徒神闘者】の肉体に【天の夢魔】を宿した真の頂に」
噛み締めたいのに、歯が噛み合わない。
カタカタと音を立てて身も心も曝け出された敵意に震える。
「辿り着いたというのですか・・・・・・・・・答えなさい。遠藤、雄一郎!!!!!」
ゆっくりと霧は割れ、その隙間から垣間見える闘争の根源。
「Maintenant, quant au demon et a l'ange vous souriez simultanement 」
地に突き立ったままのレメゲトンを引き抜き、彼は強大な魔力を剣に集結させる。
その切っ先は躊躇う事無く私に向けられている。
「Le juste comme pour le pantheon qui s'assied dans le ciel se trouve prostrate dans notre puissance et envies 」
それが魔道を発現させる言葉と分かっていても、止めようと手足を動かすことさえ叶わない。
「Le bouclier qui protege la fierte dans cet avoir droit」
圧倒的な魔力と威圧感は呪縛となって私に息をすることさえ許さない。
「Avec le ventilateur qui saute a cette main gauche et peut exclure faire de desastre 」
なのに私はこれを求めていた。
「Salaire de fauchage」
彼が逃げるときはいつもこうだった。
彼が上手く言葉を伝えられない時いつもこれが代わりだった。
「Invisible」
いつも、いつも、泣いていたんだ。
取り合えず大声で(と言っても心の中でだが)断言しよう。
私――――【獏羅 香織】は至って普通の女子高生とは言わないが、それなりに女子高生らしい土曜の休日を過ごしていたのだ。
目立たない程度にお化粧して、ちょっと気合の入った服装でクラスメイト数人と最近流行の映画を見て、カフェでお茶しながら口々に今回の映画について話していたのだ。
それが何?警視庁長官――――【一ノ太刀 鬼丸】には人の休日を奪っていい権限があるわけ!?
「(あるんだな、これが・・・)」
権限じゃないけど、それに似た力が。
「(バイトだもんね一応・・・)」
私のバイトとしての役割は大泥棒レンレイを捕まえることなのだが、最近アイツも音沙汰が無い。
”夏風邪でもひいて寝込んでいる”かのような静けさだ。
その静けさに打って変わって私が今いるこの場所は喧騒に満ちている。
人も車も何も無い。
しかし、そこは私に弾かせたバイオリンの音色のように―――ー弾いたことは無いけどきっと――――甲高く五月蝿い。
夏の山ほど喧しいものはないね。
さてさて、何故私が涼しいカフェから、暑苦しい太陽の下へ休日の方針を変更せざる得なくなったかを説明しないとね。
私が長官に呼ばれた日から、実はすでに1日が経過していた。
新幹線に揺られ、レンタカーを走らせ、辿り着いた場所は福島の霊山。
見た時は驚いたよ、山なんて見たこと無かったから。
都会で生まれ都会で育つと感じ慣れない自然の良さが新鮮に感じるって言うけど、本当だったね。
麓には人間の名残が残っているものの、首を徐々にもたげる度にその名残が消え、霊山自身が持つ迫力が流れ込むように私を満たしていった。
視界を染める一つ一つ異なる緑に背景の青がマッチした美しい景観を見せられれば、長官に強制連行されたことも忘れて晴れやかな気分にもなるさ・・・その言葉を聞くまでは。
「登る」
「はぁ!!!!!?」
その時、私は女を捨てたね。
自分でもびっくりするぐらいのリアクションだったもん、やまびこまで聞こえたし。
・・・とまぁ、私が「意地でも登らない」と言ったところで結果が変わないのがお決まりでして、その日は近くのホテルに泊まったんだけど、翌日(つまり今日)の早朝やっぱり登山開始。
虫除けスプレーと日焼け止めだけっていう山を舐めきった装備で中腹まで登った時は感動したね。
そこで少し休憩を取り、再び登り始めようと一歩踏み出した時だったかな、長官が私をここへ連れてきた理由を話し始めたのは。
ここまで来れば引き返すことは無いと思ったんだろうね、実際その通りだけど。
3日前、全国紙の一面を飾った大きな火事があったというのは知っていた。
日本の三大金融機関会社【遠藤コンツェルン】。
そのコンツェルンの社長、遠藤 正文氏の自宅―――兼”遠藤の本家”―――が燃え、社長本人が焼死体で発見された時は金融界が大きく揺れた。
TV番組にも度々出演し、そこそこ顔の知れた偉人が亡くなったということもあり、彼の追悼式がTVで放映されたほどだ。
大事件といえば大事件なのかもしれないが、国民は彼自身ではなく彼の死によってもたらされる損害に興味を惹き、意外なことにマスコミが騒いでいる以上に長官がそれを引き摺っていた。
亡くなった正文氏と長官は古くからの友人らしく、ここ数日の長官の様子が変だったのもこれのせいだったのかもしれない。
”変”って言っても表面的には何の変化も無かったんだけど、ちょっと小言が多いっていうか、迷っていたっていうのが正しいと思う。
長官はここに着たのはその事件の真相を調べるためだと言っていた。
きっと他にも理由はある、でもそんなことどうでもよかった。
長官の人間的で感情的な部分が見れて得した気分だったし、どんなことになっても私は着いていく、そう長官も思ってるだろうから。
その時は忘れていたんだ、この後で絶対に後悔することを。
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