速力の縛りから解き放たれた拳。

それは速さではなく、別の何かが作用した新しい打撃なのかもしれない。

運動の革新とも呼べるものがそこにはあり、迫る拳は容赦なく俺――――【尾崎 篠丸】の「生」を奪おうと驀進する。

五感全ての危険信号がイエローからレッドラインを振り切る。

絶叫するアラーム音、圧倒的な威圧感で軋む250を超える関節達、感覚は研ぎ澄まされ、しかしそれはクリアに死を連想させる要因に他ならない。

折れた敵意に支柱を添えて足だけを無理矢理動かすことに努めるが、俺の一歩と【φファイ】の拳、どちらが速いかは歴然としている。





「ダメです、φさん!!!!!!」





その声と同時に、俺の身体は意思とは無関係に跳ねた・・・弾き飛ばされたといっても過言ではない。

壁に背を打ちつけ、一瞬呼吸が止まるが意識はしっかりしている。

一度瞳を閉じ、ゆっくりと開く。

先程俺のいた位置には見知らぬ男がφの手首を掴み、静止している。

”黒”、それがその男に抱いた印象だ。

原色で塗り潰したような純粋な黒、横顔から窺える瞳、首筋まで伸びた髪、漂わせる雰囲気、彼を構成する全てが黒という色を原点としているようだった。

恐ろしく残酷で惨憺とした殺気はφに向けられているもののそれは大気を蝕み、その毒気は俺を、拒界そのものを飲み込もうとしている。

空気は重みを持ったように俺の身体に重く圧し掛かり、開いた瞳は閉じることができない。

流れ込んでくる負の空気は喉、肺を蹂躙しては全身に至る。

逃げるどころか指一本動かすことさえできない。

敵意など存在しない、今この男を目の前にして生まれることの無い感情。

蛇に睨まれた蛙をこの身で体感する日が来るとは思わなかった。

1分とも1年とも思える寂寥の時の流れの中で俺がツバを飲み込むと時を同じくしてφが言の葉を開く。

「ユッキー、アヤメちゃんにお客様です♪」

この場に相応しいとは思えない明るい口調に、男(ユッキー?)は項垂れた。

空気は元の流れを取り戻し、拒界を支配していた重々しい圧力は消え去る。

「それを殺そうとしたんですよ、φさんは・・・・・」

「彼女は今何処に・・・・?」

φは男の愚痴っぽい呟きに気づかぬフリを決め込み、ワザとらしく辺りを見渡す。

「俺達はその人・・・【尾崎 篠丸】さんが部屋へ入ってきたと同時に拒界へ入ったんですが、φさんが彼とここへ来る気配がしたので入れ替わりに俺達は現世へ戻り・・・・・・・・彼女は彼女の部屋に残してきました」

「ふむ。では客人を待たせるのも悪いので、そろそろ出ましょうか♪」

・・・・・・・嵐みたいだな。

突然巻き込まれて収まる、みたいな。

その後俺は如何なる方法でここを出たか覚えていない。

物理的な変化は何一つ起こっていない、認知できない領域で何かが変わった、としか言い様が無かったからだ。

まぁ、そんなことどうでもいいわけで。

バツの悪そうな見慣れた顔。

「・・・お嬢様」

俺が再び現世へ戻ったと確信した、日常の風景。







2人きりになった部屋。

幸村さん達は宴会の後始末に精を出し、私――――【大村 アヤメ】は【尾崎 篠丸】と向き合って座っている。

「・・・お嬢様」

私にとって彼は”優しい”という印象が強い。

目尻の吊り上がった悪人相に真黒なスーツは他から見れば、その道の人を連想させる。

元々はなかなか格好良いのに、その見る者を威圧する雰囲気が彼の印象を悪いものにしていた。

でも私がそう思わないのには特別理由は無い。

まぁ、身に纏った空気よりも、心底で眠る彼自身をたまたま見ることができたっていうのかな。

彼は父さんの命令で私を連れ戻せと言われても無理強いしたりしない。

「(でもさすがに今回はちょっとグロッキー・・・)」

私も【拒界】っていう世界に入ったけど、何だか気持ち悪かった。

車酔いしやすいのに薬を飲み忘れた、って感じかな。

我慢できるけど我慢したくない、みたいな。

何だか幸村さんとφさんに搾られたって感じだし・・・ごめんね、篠丸。

今回は、譲れないんだよ。

「戻れとは言いません」

「イヤ。私は絶対に戻らな・・・・って、え?」

「貴方の父上にとって、今貴方を遊ばせておくのは宥恕しがたいことだと思いますが・・・・事態が事態ですので」

「事態?」





「本家を守護する【三陣将】の内、遠藤家と神楽家が何者かに殲滅されました」









”存在”とはどれだけ忌むべきものであろうと消し去ることができないもので、人間はそれを主とした思念体である。

古来、人々はそれを貴重なものとして扱い、守り続けてきた。

それを奪った者には刑罰が下され、奪略者は同じ奪略者の数だけ存在していた。

「今もそうだ」

燃え盛る炎と焦げ臭さが混じった死臭は俺――――【団長】にとって真の存在を意味している。

それは俺が奪う側の人間として散り散りになった同志達の意志を手繰り寄せる奪略の王であるからだ。

昔から日本人は怨霊や言霊と言った神秘的なものに作用されやすい性質を持ち、それは時代に関係なく人の意思を束縛していた。

「奪い尽くす・・・・悪しき魂を、悪しき魂が!!!!!」

魔道を秘めし剣ゲンドリル・ビヴリンディ散逸せし魔道達レメゲトン】の柄を握り締め、高らかに謳う。

劫火とも呼べる炎達は彼らを焼き尽くす。

俺達の戦争はここから始まる。





ここは【基督教徒神闘者クリスチャン・ウォーカー】の血筋である大村家を守護するためだけに生きてきた【三陣将】の一角、天城家の総本山。

武芸で名高き天城家だが、裏の顔は”夢魔狩り”と同等の力を有し、大村家に仇名す全ての因子を取り除いてきた組織である。

それは同じ三陣将である遠藤家、神楽家にも同じことが言える。

基督教徒神闘者クリスチャン・ウォーカー】。

大村家を含む三陣将の幹部は皆”この力”を修めた者達だ。

基督教とは本来「父なる神」「子なる神」「聖霊なる神」の三位一体の神の存在を主とし、子なる神であり人であるイエス・キリストを神だと信じることで罪から逃れ永遠の生命へ入る、という信仰が根幹を成している。

彼らはイエス・キリストを崇め、日本でいうところの武士の役割を担い戦い続けることで罪の解放を得ようとする者達の総称である。

その力が日本に渡ったのは戦国時代。

芸術兵器といい魔道といい、日本の全てはこの時代から歩み始めたのかもしれない。

日本最初のキリシタン大名【大村 純忠】、天城家を含む三陣将達の親玉の先祖にあたる人物だ。

宣教師から得たその力は自らの魔力を力に変える【魔道】とは違い、この世界の”他の存在”を変換することで力を得る。

つまり周りの存在から奪った力を用いて闘うというものだった。

各地の戦国大名達はこの力を恐れ、基督教徒の是非が分かれる元となった。

そして時は現代に移る。

幕府の検挙や踏み絵から生き延びた大村一族は今は裏の日本経済の約3割を占める大組織となり、今も基督教徒神闘者は増え続ける一方である

俺達が再び【歴史の教科書one summer days】通りに世界を動かすならば、今一度大村一族と基督教徒神闘者を壊滅させなければならない。

それは過去からの啓示。

ならば俺達は動かなくてはならない。

まずは形からと屋敷に火を放って虚を衝き、手当たり次第に人を切り捨てていく。

単純明快、進歩しないロボット技術でも、これほど簡単な作業は造作も無いだろう。

「・・・来たか」

群がる炎の合間を1つの影が縫うように駆け抜けては目前で制止する。

この小柄で童顔の少年の名は【ヒオナ】。

実際年齢は十代の前半と普通ならば小学校か中学校に通っていなければならない年頃なのだが、俺と同等・・・いや、それ以上の魔道の達人だ。

「1階から最上階・・・全ての人間を排除しましたが、その中に――――」

「天城の爺さんはいなかったんだな。なら逃げたか・・・・・・・・・木を隠すには森の中、か。ヒオナ」

呼びかけつつレメゲトンを地に突き立てる。

「地下があるかもしれない。開けろ」

ヒオナは小さく頷くと、瞳を閉じる。

倍以上年下の者とは思えない圧力が空気を振動させ、炎が揺らぐ。

魔力が凄まじい勢いで収束するのを感じ、俺はレメゲトンごと一歩退いた。

「天を穿き進む海蛇よ・碧雲掛かる終わり無き海原を・抱きて裂きて仁王立て」

言葉と共に右腕を天に突き出すと、空間が歪むほど濃密で強大な魔力の構成が小さな少年の掌に集結し、遂には周りを蹂躙していた炎さえもその活動を止めた。



魔道水判

「(?・・・・・ちょっと待て)」

”水判”とは即ち”陰力”の精霊が持つ【水】を用いた魔道の事を差している。

恐らくヒオナは魔道により生み出されたによる圧力でこのあるかどうかも分からない地下への入り口を開こうと考えているようだが、入り口などなかった場合どうなるのだろう。

さすがの魔道でも地面を平気で抉るほどの破壊力を持つものは少なく、それは元の攻撃力が高くない水判ならば尚更の事だ。

ちょっと頭の弱いヒオナであればこその発想。

普段なら俺は広い心で受け入れるが、今回ばかりはそうはいかない。

もしもこのままこの魔道を撃たせれば、衝突した膨大な水量は天城の屋敷を軽々と飲み込み、周辺地域は津波の去った後のような状態になるだろう。

では仮に入り口があったとしてそこにその津波と同等の水量が流れ込んだとして中の人間はどうなるのだろうか。

考えるまでも無く窒息するか水圧でペシャンコになるか、二つに一つの結果しか在りえない。

天城一族の壊滅という目標は達成できるかもしれないが、それでは実りが少なすぎる。

天城家の長には少々用があるの――――――

最終楽曲

「オイオイオイオイオイオイオイオイ」

よりによって各”判”の最強魔道かよ。

しかも鬼丸と戦ったときの”火判”より数段上の魔力が込められているじゃねぇか。

ヴェグスヴィン・スュン

「待て、ヒ―――――」

詠唱の終了と同時に水分で構成された馬鹿でかい球体がヒオナの掲げたままの右手に現われる、そして。

「―――――消えた」

魔道によって生み出された球体は質量ごと消え失せる。

ヒオナは驚いた表情のまま俺に視線を合わせ、何が起こったのか問うてくる。

・・・残念ながら俺はこんなことができる人物に、その答えに心当たりがある。

戦場を華麗に舞い駆ける”死線のど真ん中”みたいなやつだ。

「【セーレイズ瞬間次元律動無視】か」

芸術兵器に2つと無い戦闘能力皆無の力。

その効力はどの空間にも存在する一定の”波”を瞬間的に無視するというもの。

分かりやすく説明するなら・・・拒界はラジオの周波数と同じように繋がる先が確立されたものになっている。

だが、セーレイズを使うと別の周波数の”拒界のような世界”に出入りできるようになる、あくまで瞬間的にだが。

これを開発した芸術家アーティストは拒界に似た世界の量産を目的としていた。

しかし【Concealed Technology】を持ってしてでもそれは叶わず、結局中途で開発が進むことは無かった。

「(で・・・コイツを持ち出したバカがいたわけで)」

恐らくヒオナの魔道はそのバカにセーレイズで飛ばされたんだろう。

「どうでもいいが姿見せろや。久しぶりの再会だろ?」

「”いつの世”でも貴方は厄介ごとばかり運んでくる・・・」

視界に影が、突風が駆け過ぎる。

影が徐々に明暗を分けて実像が現われる。

「嫌いです。貴方のそういうところ」

相変わらず目元は下ろした髪で窺えない。

だからコイツの機嫌を伺うにはまず口元を見るのがセオリーで、今は軽く尖がっている、ちょっと不機嫌。

黒のトップにボトムはジーンズを履いたラフというか・・・地味な格好だ。

「よく似合っている」

「無理しなくていいんですよ。地味とか思っているんでしょう?」

尖った唇が一層突き出される。

「イジめるなよ・・・φ」

「こんなことをしなければもう少し優しく接してあげましたよ」

焼き崩れた屋敷の名残に、φは重い溜息を吐いて呆れたように首を振る。

「貴方が何をしようとしているのかなんて興味ありません。しかし、拒界ならまだしも現世でこんなことが起こればいくら警察でも貴方の存在に気付きますよ?」

「その為の餌撒きだからな。これで”鬼”も本格的に動くだろう。そうなれば計画は7割成功したようなもんだ」

「そして私の参戦に【ゲルニカ】の撲滅で貴方のシナリオは不動のものとなるということですか」

そして、さも当たり前だと言わんばかりに肩を竦めてみせる。

「・・・・気付いていたのか?」

「貴方の気配に気付いたのは”何者か”によってが銀時計の封印が解かれた時でした。”鬼”も気付いたようでしたね。1週間と経たぬ内に封印を解いた当人と一戦交えたようです。結果は鬼の敗北」

「まぁ、俺じゃなかったから殺さなかったんだろうな」

「そして貴方の動きを感知したのは”ゲルニカを宿し者”が私の元へ訪れた時ですね。タイミングが良すぎました、鬼の動いた後すぐでしたから。
彼女は私に貴方の存在を感知させるためのメッセージ代わりと言ったところですね」

俺は無言で肯定とその先を促す。

「さらに彼女の件が落ち着いた後、朗報が入ります。もう1つの【ゲルニカ】を発見。私の息が届かぬうちに貴方は捕獲に乗り出しましたが今までと”多少勝手が違った”ようですね」

「拒界での出来事さえも把握しているのか。流石だな」

「私の・・・いや”夢魔狩り”のネットーワークを舐めない方がいいですよ? 話を戻します。結局、そのゲルニカには貴方自身が回収に乗り出す結果となった。
しかし、貴方はまさか鬼と繋がっているとは思わなかったでしょうね。”真の鬼”となった彼に敵う筈も無くまたもゲルニカを逃す形で一旦幕は下ります」

「シナリオは不完全のまま進まざるを得なくなったが・・・・・・どんな天命が味方してくれているのか。お前は今この舞台にいる。幕は開けた」

「そうですね。再び動き出した物語は恐らくもう、止まる事無く進み続けることでしょう。でも」

今まで真顔だったφの顔に大きく、笑みに近い歪みが露になる。

「これは貴方のシナリオ通りに動くとは限らない」

背筋を夏に相応しくない冷ややかな汗が流れる。

鬼丸と刃を交えたときのような心の奥底から湧き出てくる恐怖ではない、予感に近い不気味な感覚が神経を駆ける。

「貴方が解く筈だった銀時計の封印は他者によって解かれた。では、その封印を解いたのは誰か・・・実はすっごく有名な人なんですよ?」

「団長!!!!!」

ヒオナの焦りを孕んだ叫びが混乱した脳をクリアにする。

僅かに感じ取れた殺気、風を切る第三者の運動、歪曲する嫌な笑み。

レメゲトンの頭をもたげ、振り向き様に剣を奮う。

「遅いッス♪」

頭部に伝わる衝撃と共に身体は抗うこともできずに流される。

揺れた脳を意識で固定し、弾んだ声音の主を見る。

まず目に入ったのが男性のものとは思いがたい漆黒という名に相応しい髪。

髪と同系色の瞳が小麦色に焼けた皮膚に関係なく黒い。

纏った霊光、携えた容姿、その全てが黒という純粋な色に支配されている。

そして、瞳の右側を覆う単眼鏡モノクルがその黒に透明感を注ぎ足す。

今まで出会った者とは異質の存在。

「名前は【レンレイ】。私の大好きな友人です♪」











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