頭がズキズキと痛む。
たしかに要約すればそれだけなのだが、それだけで済まないのが小説というか、世界の形というもので。
俺――――【神谷 幸村】は夏風邪だ。
頭痛という意味では、これが理由としてその大半を占めていることになる。
事実、こんなことが起きる前までは関節の節々が痛み、咳と鼻水が止まらず、恐らく 我が家の居候?こと【冠城 薫】が割ったのであろう皿やらコップやらの悲鳴の外部攻撃と内側から襲い掛かる病状により頭を抱えていた。
薫さんが割った食器(と断定するのは些か早い気もするが)の個数分の頭部への集中砲火は確かに強烈なものだ。
いつからあのような”おっちょこちょいキャラ”が定着したのか、然るべき場所にて問いただす必要がありそうなものだが、それはさて置き、本題。
”こんなこと”の説明に入ろう。
屋根の一部(および照明)が降ってきた。
要約というより、真実がこれなのだ。
そして、その真実に付け足しをしていくと、それは俺がこの”椿山荘”にやって来た一年前に遡ることとなる。
1人暮らしをするには申し分無い広さ、安さ、立地条件。
全てが揃ったこのアパートの一室には1つ難点というか・・・やはり”裏”があった。
”屋根に穴が開いている”という裏が。
いや、確かにここは1階だし屋根に穴が開いていようとも雨が降り込んでくる事も無い。
それでも、やはり上下階が繋がっている(干渉は一方的なものに思われるが)というのは気分が悪いらしく、ここ数年、この部屋は空き部屋だったらしい。
しかし、俺としては上に誰も住んでいないなら気にすることも無いと、半ば無理やり自分を納得させ今に至るというわけだ。
「・・・・で、キミがその曰く付きの2階に引っ越してきたってことでいいかな?」
屋根が落下した寝室には今、キッチンで料理を作っていた薫さんは勿論、騒ぎを聞きつけた(というより野次馬?)我が家の隣人【φ(ファイ)】と居候Uこと【ゲルニカ】が当然のように座っている。
そして―――。
「そういうことになりますね♪」
あっけらかんとした口調で豪快に言い放つ屋根上の姫君の名は【大村 アヤメ】という。
今月 上京してきたという彼女は、やはり俺と同じ感覚であの2階を選んだというのだから何か通じ合うものが感じられる。
しかし、決して考えの浅い人物だとは思えない。
そう思わせたのは彼女の容姿が7割近く関係している。
神の手によって形作られた洋人形と呼ぶに相応しい美貌を持ったゲルニカとは、また違った美しさ。
作られたものではない自然な美貌。
どこか落ち着いた風格を纏いながらも少女の幼さを残した、今時の女子高生である。
「(と、いうのは一般人の見解?)」
ドチラかと言えばまた彼女も”コチラ側”の存在のようだ。
そして、強いて言えば彼女は人間だ。
ただ少しだけ”尋常ではない鍛え方”をしているだけである。
”血汗を舐めた鍛錬の結晶”。
しかし、それは一目見ただけでは窺い知る事ができないほど木目細かで強靭だ。
外部にはその気配を微塵も感じさせない、そんな鍛え方が成されている。
「(ただの女の子じゃないようですね)」
視線で俺の隣に座ったφに語りかける。
「(そして”今”引っ越してきたというからには何か並々ならぬものを感じます)」
「(ということはやはり【組織】からの増援と判断して良いんでしょうかね?)」
俺達が所属する”夢魔狩り”を統率する名の通り【組織】。
総勢3000人強で構成されている組織は世界中に支部を持ち、俺はそのアジア支部に属し、諜報部・医療部・戦闘部と部隊分けされている中、戦闘部に属しているのは言うまでもない。
俺は戦闘力だけなら組織内でもかなり上位の分類に入る。
「(φさんは夢魔狩り史上最強の戦闘力だっけ・・・)」
そんな化け物が隣に住んでいるのだから恐ろしい限りだ。
と、最高クラスの戦闘員が2人もいながら、それでも追いつけないぐらい夢魔の数が、ここ最近増えてきている。
日本にも俺達を除く戦闘員はいるが頼りない。
そう判断した組織は新しく戦闘員を補充するという通告を3日前送ってきたのだが・・・(ちなみに携帯メールという現代っ子な組織、着メロはダース・ベイダーのテーマ)。
「(わざわざ”椿山荘”へ寄越さなくても・・・ねぇ?)」
「(ねぇ?)」
目の前の少女はこの椿山荘へ来た経緯を思い出し涙を浮かべて熱烈と語っている。
「「(可哀想に)」」
俺達はアイコンタクトで同情の溜息を吐く。
大村・・・嗚呼、どうせ彼女も薫さん・ゲルニカ経由で入り浸るだろうからアヤメでいいか。
アヤメは「何故今ここにいるか」を話し終えると、話題は両親に対する愚痴、そして未来予想図にまで飛躍している。
女同士というものは何故ここまで話が弾むのか、ゲルニカまで積極的に質問し、相槌を打っている。
宇宙人に遭遇した農民AとBの如く男子2人は呆然と彼女達の会話を耳に入れている。
「(ところで)」
φが再びアイコンタクト通信を要請する。
俺は首をmm単位で傾げることで通信接続を知らせる。
「(聞いていて思ったのですが。私達に直接組織が送ってきた精鋭にしては少々情報が欠如しているように思えませんか?)」
・・・・確かに。
先ほどから彼女は自分の境遇、それに対する思いしか語っていない。
”引越し・上京・自由”という理由のみ、彼女は意志を感じさせる言葉も言っていないのだ。
「(もしかすると・・・彼女は組織の人間ではないのかもしれません)」
「(・・・・・・・じゃあ―――この子はただ僕の安眠を妨げるために神が送ったトラブルメーカーということですか?)」
「(皮肉にも送り主が”神か・組織か”というだけでトラブルメーカーには変わりないというところがミソですね)」
「(それ、褒めていいんですか?)」
「(ダメでしょう(笑)」
(笑)って何だよ。
・・・確かにアヤメを組織の人間と断定するには早すぎるのかもしれない。
一般家庭では在りえない教育方針だが、一般でないなら合点がいく。
ここにいる者全て、すでに一般の範疇では収まりきらないからだ。
しかし、彼女が組織の人間であってほしいというのも本音である。
通常、組織からの連絡は最高24時間以内に遂行されるものばかりだからだ。
それは組織が掲げる「迅速応答・迅速対応」というサービス業ばりの意識にある。
それがもう3日。
φのことだから連絡の有無が偽りである筈は無い、戦闘員に何かあったと考えるのが妥当と踏んでいるのだが・・・。
「(”まだ”3日と見るべきなのか・・・”もう”なのか?)」
時間的に微妙であるのだから疑うしかない。
仮に”もう”と見た場合、戦闘員がこちらへ赴く事ができない”何らかの事情”があったのだろう。
それがゲルニカの言う【団長】【天下】の2人に関わっていることとなると俺達の身も危ぶまれてくる。
もしかすると、事態は俺達が考えている以上に進展しているのかもしれない。
「(割と戦闘員が2人のどっちか倒してたり・・・?)」
あながち外れていないことを後に知る事になるのだが、それは兎も角。
「(今はそんなことも言ってられないか・・・)」
脳内で思考を巡らしていた数分間。
その間に行動力と食欲を形にしたような人間こと薫さんがリビングでアヤメに酒を注いでいる。
何か馬が合うところがあったのだろう、普段に増して上機嫌だ。
恐らくφはツマミを作らされている、バターの焦げる香ばしい匂い、そして彼がこの部屋(寝室)にいないことから分かる。
「歓迎会・・・・・いや、宴会?」
屋根の問題など最早後回し。
俺は風邪で重い身体を引き摺りながらリビングへと向かう。
一度に沢山の事がありすぎて頭が痛い。
これから起こる惨事が後押ししてか寒気もしてきた。
「・・・・・・薬飲んで寝よ」
φさん、水ください。
寝室を出て行く神谷さんの背は夏風邪というだけあって辛そうだ。
その時やっと彼が人間だという事を思い出す。
ワタシにとって神谷 幸村は万能人間だ。
勉学は学年一・二位を争い、運動神経は並外れているというか異常で、ルックスも良い。
そんな彼が青い顔をして布団に包まれている姿など想像できなかった私はつくづく情けなく思う。
私の周りにいる人々は皆、表面下は人間でも裏では特殊な事情を抱える者達ばかりだからだ。
その中でも神谷さんとφさんは異種の境地に足を踏み入れている。
彼らが隣りにいるせいか常識という枠組みが徐々に壊れつつあるのである。
そう・・・彼らだって怪我もするし、涙を流すし、風邪も引く。
そのような当たり前なことを今更実感してしまうことがとても情けない。
「ワタシと同じである筈なんて無いのに」
その呟きは自分の名を復唱しているに等しい。
【ゲルニカ】――――それがワタシの名前。
【Concealed Technology(隠された技術)】を併用し作られた芸術兵器を幼少期に埋め込まれたワタシは夢魔に夢を奪われ消滅する筈だった身に”不死”を宿した。
どんな傷も瞬時に塞がり後を残さず、病魔など患う前に死滅する。
肉体的な最強を手に入れ、ワタシの夢を奪った夢魔【ガウディ】が死した今、最早違う生物へとなりつつあるのかもしれない。
ワタシは一体何なのだろうか。
寝室にはベランダ(といっても少し洗濯物を干せるぐらいの狭いものだが)に面した窓がある。
ワタシはゆっくりとそれに近付く。
夏。
ワタシはそれを言葉として知っているだけで肌で感じたことはない。
夢魔による感情の欠落は私の感覚さえ麻痺させてしまったのだ。
窓際に吊るされたガラスの風鈴。
赤と青のまだら模様。
風に揺られるたびに涼しげな音(日本ではこういう音が好まれるようだ)が小さく耳を打つ。
その奏でに耳澄ましながら、ベランダの隅にある”つっかけ”をはくと窓辺に座る。
ワタシはこの場所が好きだ。
右を見ても左を見ても前を見ても、やはり都会という場所は遮蔽物となるビルや家に覆われている。
ここも例外無く、どこを向いても壁があった。
しかし、狭苦しさを感じさせない独立感も確かにあるのだ。
「暑い」
思いもしないことを口にしてみる。
そして、そう思えるようになった時の練習をしておくのだ。
「暑い」
しっかりと噛み締めるように言葉を紡ぐ。
今はそれだけでいいような気がした。
「ホレ」
頬に冷たい物が押し当てられ、ワタシは飛び上がって驚く、声は上げない。
振り向いてみるとニヤニヤと口元を緩めて笑う・・・やはり、神谷さんがいた。
彼は左手に水の入ったコップを持ち、もう一方の右手には氷が溢れんばかりに放りこまれた黄色の液体(恐らくオレンジジュース)の入ったコップを持っていた。
頬に当てられたのは右手の方だろう。
彼はワタシの意思を確認する前に右手のコップを私に押し付け、窓際に(ワタシの隣りに)腰掛ける。
ポケットから取り出したカプセルを口に含み、水と共に流し込むと眉間に皺を作る。
「どうも昔から頑丈だったせいか薬は苦手でね」
自分の事を”僕”と呼ぶ昼の神谷さんが微笑を湛えてワタシに言う。
「何やら難しい顔をしてますね」
「そう・・・ですか?」
「えぇ、困った顔になってます」
神谷さんがそう言うなら、そんな顔になっているのだろう。
ワタシは確認する術が無いのだから。
日光を浴び、溶け始めたコップに沈む氷達。
水かさを増していくコップに口をつけて少し啜ると、オレンジの香りが口いっぱいに広がった。
でもこんな時に、自分の感情を表現できる表情が見つからない。
未だにガウディの呪縛は外れぬままワタシの感情を戒める。
嬉しいのに、笑顔でありがとうって言いたいのに。
何故ワタシは表情の無いカタコトの「ありがとう」しか言えないのだろう。
オレンジジュースの水面を見つめ、私は言葉を紡ごうと呼吸する。
「頑張らなくていい」
「――――え?」
しかしその呼吸は途絶され、開きかけた口は酸素を取り込むだけに終わった。
「頑張らなくいい、今できることだけをすればいい。今のキミは俺と同じ―――風邪みたいなものだ、何れ治る。ただ少し長引いているだけ。でも、その言葉を使うこと、躊躇わなくていい。言葉はアクセントじゃない、想いだから」
そう言うと立ち上がり、重い身体を引き摺りながら布団へ歩む。
ワタシは急いでコップのオレンジジュースを飲み干し、大きく息を吸った。
「ありがとう」
彼の返答は小さな寝息だった。
近頃の夢魔狩りは・・・弱いな。
しかし、”この姿”の俺を察知するとは、彼らの憎悪の念は、いよいよ肉体を超えて魂を感ずるようだ。
地に横たわる黒のシルクハットを拾い上げ、埃を払って深く冠る。
いつも身に纏っている帽子と同系色のスーツは身を捩ったときにできたシワのみ。
その乱れも正し、小さく息を吐く。
「・・・・で、ここに来たのは俺の討滅だけではないだろう? そろそろ答えくれないか――――」
真夜中の2時を過ぎた頃だろうか、人々は寝静まっている。
まぁ、この【拒界】には時間はあって無いに等しいもので、故に真昼間だろうが真夜中だろうが関係ない。
どれだけ建物が倒壊しようとも、誰かの存在が消えようとも現実世界に変化を及ぼすことは無い。
だが、感覚的に夜は我らの時間でもあった。
「(太陽に見放された闇夜を彷徨う化け物達のな)」
込み上げる笑いを噛み殺して夜空を仰ぐ。
この世界に月は無い。
三世界の狭間であるこの場所に月の光が届くはずが無いと言えばそうなのだが。
空を眺める楽しみが減るから、この世界は嫌いだ。
上擦った帽子を押さえ込むようにして冠り直す。
俺は目の前の、四肢全てが使い物にならぬとも敵意の念を向けてくる勇敢な夢魔狩り・・・いや一人の恨みを抱える”人間”を見返す。
俺は眼差しだけで相手の思っていることが分かるほど器用ではない。
思いは口にしないと届かぬものだ。
「まぁ、いい」
送る気が無いなら、それはそれでいい。
”人間”は一瞬だが困惑の表情を見せた。
「キミがやって来た理由・・・」
地面に突き立った両刃の剣を引き抜き、刀身を濡らす赤を横薙ぎに振って払い落とす。
「そんなことどうでもよかったんだ」
そう、どうでもよかった。
理由は知りたかったのではなく、むしろ作りたかった。
むやみやたらと人間を殺すのは俺の道理に反する。
だから無理矢理、この人間を”拒界へと引きずり込み”尋問する必要があった。
そして同時に、俺は”自分で定めたルール”を捻じ曲げる必要もあった。
「その理由を達せずに死ぬのも辛かろう? だから・・・」
”拒界は夢魔のみ存在できる世界であり、現世からは”夢魔”しか立ち入ることができない”
そんなルール”作った”なぁ・・・。
だが、ルールとは破るためにあるものと誰かが言うように、やはり俺も同意権だ。
廊下は走れ、窓を開けるのが億劫なら突き破るのも1つの手だ。
結論から言うと”拒界は三世界のどんな者でも受け入れる”。
ただ人間は拒界へ自らの力で入る術を持たない、それだけの差だ。
「新しく理由を与えてやろう」
剣を振り上げ、刃は力の収束と共に銀光を発す。
「我が【散逸せし魔道達】の糧となれ」
俺を皆は【団長】と呼ぶが―――今ぐらい”古き名”でいさせてくれても構わないだろう。
たまには霊魂だって、羽を伸ばしたいのさ。
ブラウザの「戻る」でお戻りください