感覚というものは肉体を超えることは無い。

超えることはない筈だ。

ならばこの感覚は何なのだろう。

身体から魂が抜け落ちたような、この感覚は――――。

いや、私――――【獏羅 香織】はこれをすでに体験している。

「(時計事件の学校・・・)」

【ナイトメア】―――学校を奇妙な赤光で半壊させ、夢魔という化け物の王。

私がそれと初めて遭遇した時、私はこの感覚を知っている。







見た目などは一切変わっていない、歩き慣れた駅前。

しかし、先ほどまでの喧騒どころか、人ひとり存在しない全くの無法地帯。

だが本質は全く異なっている、私はそれを視覚で感じ、嗅覚で感じ、肌で感じた。

空気にも、木々にも、建物にも生命が宿っていた。

それは”それぞれが望んだ世界”を表現した1つの完成されたものであると感じる。

”この世界は他者に望まれて生まれたものではない”

そういう”世界”なのだ。

「ここは何なの?」

世界よ、教えて。

しかし、問いかけた言葉の返答は思わぬところから・・・背後から返ってきた。

「【拒界】」

私は振り向く。

「私達はそう呼んでいる」

聞く者を魅了する悪魔の声音。

その誘いにも似た調べは私の胸を無感動に打つと同時に新たな高揚の”時”を感じる。

それを触発するかのように、声音の主は化け物だ。

目鼻のくっきりした綺麗な女性なのだが、何故か心を許しがたい窮屈な感じがする。

まぁ、許す気なんてないけどさ。

髪と同色のダイバースーツで全身を包み、「不気味」の要素を格段に向上させている。

だが、そんなものは前菜の前の水に過ぎない。

本命は、その右腕にあった。

手袋に近い形状のアーマーは純白。

白というものは雪の白さや寒空の吐息の白みなどという冬の優しい白さを連想していた私は、その色がここまで残酷に見えるなどと思いもしなかった。

烈火に近い眩い夏の光の色。

照らすもの全てを消滅させかねない危なくも邪悪に染まっている。

それを纏う空間が澱んで見えてしまうほどだ。

「”私達”というのは不特定多数を差しているのだけれど、大して気にすることも無いわ。【天下】、それが私の名前。それだけ覚えていなさい」

普段ならその命令口調に文句の1つも言ってやるところだが、天下・・・・彼女の持つ美艶さが口を噤ませていた。

「まずは・・・【拒界】へようこそ、プリンセス。ここは全てが許される場所。現世の法や地獄の刑罰や天国の転生など存在しない―――
あ、死んだらそのまま死んじゃうわよ? それ以外は―――傷を負っても現世に戻れば治る・・・正確には”なかったこと”になる。どう、理解できたかしら?」

理解はできた。

私は無言で肯定を示す。

「で、私達の目的はあなたの拉致――――言い方間違えたわね、無理強いしているように聞こえるわ。そうね、協力を求めている・・・が正しいのかも」

協力?

「こんな場所に連れ込んでおいて何だけど、何も聞かず私に着いてきてくれないかしら?」

「何故、私が?」

「何も聞かず、よ」

嫌味ったらしい、私の癇に障る話し方だ・・・レンレイもそうね。

っていうか”そんなことどうでもいい”ってこと―――

「気付いてるんじゃないの?」

自分で分かるほど、口元がニヤついている。

実はというと、彼女の言っている事の意味は理解しているものの頭にはまるで入っていなかった。

だから結局の所。

「私を”どうこう”しようというなら勝手にすればいい。抵抗はするけど」

と、いうことだ。

「アナタの為に、一応説明してあげようと思った私がバカだったかしら?」

「そうかもね♪」

空気が変わった。

「小娘が・・・いいわ、ちょっと遊んであげる」

その言葉に、感動に近い感情が一気に押し寄せる。

この世界がいつから存在しているのか、そんなこと私は知らない。

でもたった一つだけ分かることがある。

この場所、この状況、この”ノリ”。

「(”この世界は私のために存在している!!!”)」

白鷺は閃き、私達は交錯する。











初撃の肉薄は1つではなかった。

右腕同士、左足同士が交差し打撃を打ち消し合うが、第二撃は天下の方が速かった。

鼻先ギリギリを掠めて過ぎ去る上段右回し蹴り。

やはり常人離れした速度を誇る天下だが、その速ささえもコマ送りで捉えることができる。

感覚は研ぎ澄まされ、身体は研磨された鋭さで超動する。

幾重にも折り重ねられた連打の応酬の一つ一つを見切り、鼻で笑う余裕さえあった。

この余裕が私の”真の姿”の一端であるなど知る由も無く、目の前の欲求を貪欲に求め続ける。

戦闘開始から、およそ10秒足らず。

私は天下の”底”を見切った。

彼女の最速はレンレイの戯れの一打に等しく、その重みはアリに指を噛まれるような微細なものだった。

「(その腕の禍々しさは偽りなの?)」

視線を腹部目掛けて放たれた純白の右腕に落とす。

私はそれを片手で受け止めると、そのまま後ろへ引き込み、体勢を崩させる。

しかし、よろけながらでも攻撃を緩めない彼女の蹴りを空いたもう一歩の手で掴むとその勢いを利用し、投げ飛ばす。

宙を勢いのままに突き進む彼女は洋服屋のショーウィンドウを突き破って店内へ消えた。

「これで終わり?」

ゆっくりとショーウィンドウの方へ近付きながら問いかける。

「まさか!!」

刹那、声と同時に射殺さんばかりの殺気を携え天下は店内から弾丸のように出でる。

音速の域に達する拳は、しかし私を捉える事無く空を裂くばかり。

「たまにはピンチな立場じゃないって感動かも」

相手がちょっと弱いことを除けば、だけど。

「羅流・・・・・」

瞬間的に両腕に気を集束させ、両足を地に噛ませ固定する。



「通天群鳳掌!!!」



気の流動が顕現し、その姿は天翔ける鳳凰の群れ。

両腕から波動のように放たれる気は天下の身に波紋のようにして伝わる。

頭部の打撃に対する完璧なクロスカウンター。

拳速は光に達し、腹部を突き抉るように衝突した一撃は天下の身を”く”に折り、何の障害物のない車道を爆進し、地面に打ち付けられた身体は何回も転げ回り、ゆっくりと停止した。

「弱い?・・・違う」

私が強くなりすぎたのだろうか?













地に伏す、私――――【天下】に科せられた使命は”【ゲルニカ恐怖と絶望】の無力化”という我らの野望にとって欠かす事のできない事柄だ。

ゲルニカは我らが属していた研究所のトップシークレットの1つであり、世界の秘密でもあった。

本来、ゲルニカとは少女の名ではない。

少女に寄生した芸術兵器―――いや、それは”兵器”と呼べるほど荒々しいものではない、差し詰め”遺産”といったところだろうか。

”遺産”は少女に不死身を与え、少女はいずれ我らの障害となる。

あの虎頭の夢魔がゲルニカを攫ってさえいなければ、事はここまで歪曲することもなかっただろう。

そして今、何故、使命の対象ではなく女子高生と戦わねばならないのか?

理由は簡単だ。



”【ゲルニカ】は2つ存在する”



少女の方の【ゲルニカ】は既に覚醒を終えている。

夢魔と遭遇し、夢を奪われながらも身体的生存の心願からか”不死身”という能力を発現させた。

【ゲルニカ】とは恐怖や絶望を引き換えに自らが望んだ力を手にすることができるという能力なのである。

彼女――私の身を軽々と吹っ飛ばした女子高生(たしか情報では名前を【獏羅 香織】と言う)はまだ覚醒を終えていない。

【ゲルニカ】を手にした限り、何かの因果関係からか必ず夢魔に関わる筈なのだから、もうその段階は過ぎているのかもしれない。

急がなくてもいい、だが、焦ってはいけない、【団長】の言葉だ。

夢魔に侵食されるスピードは人によって違う。

あと数週間、数ヶ月、数年、どれだけの年月を経て喰い切られるかなんて知らないが、焦る必要はない。

街中を歩く彼女の背は私に一抹の不安も与えることは無かった。





しかし、それはそれほど簡単な話ではなかった。





「まさか・・・”覚醒”がここまで進行しているなんて―――」

獏羅 香織、もう1つの【ゲルニカ】を有する者。

と同時に、拒界に存することができる者でもある。

これは彼女自身が”【ゲルニカ】の発動を促進する存在である”ということだ。

”彼ら”は戦いの数だけ狂喜乱舞し、同じ数だけ死を体感する。

このままでは数日・・・いや、この戦いで目覚めてしまうかもしれない。

”【ゲルニカ】を秘める【夢魔】”が――――









足音が、近付いてくる。

それは死へと誘う死神の歌。

いつ鎌を振り下ろされてもおかしくない状況下で、私はまだ迷っている。

人の形を保ったまま、この戦闘能力を発揮することができるというならば、”真の姿”に目覚めた時、どれほど大きな障害として我らの前に立つのか・・・計り知れたものではない。

しかし、もし中途半端な形で彼女に死を体感させてしまったら?

確実に【ゲルニカ】は目覚める。

「(しかし・・・・・・・・・最早、手加減などしている場合ではない)」

ゆっくりと立ち上がる。

口の中が鉄に似た血の臭いで満たされ、腹部の一撃は確実に肉を突き破っていた。

傷みはすでに神経を麻痺させ、私が感じられるのは私自身が生きている証、心臓の鼓動だけである。

「もう・・・・・・・・・手加減はしない」

恐怖に震える唇で言葉を紡ぎだす。

「手加減?」

「えぇ、手加減。アナタを滅茶苦茶に叩きのめすことに決めたの。だから、手加減はしない」

純白の籠手を天に掲げる。

圧倒的な敵意と殺気が私ではなく、その右腕に注がれる。

籠手から滲み出るように広がる禍々しさを肌で感じたのか、しかし眩しく微笑む死神は両手に拳を作り、圧倒的な敵意と殺気、そして純粋さをぶつけてくる。

その表情をいつまで保っていられるかしら?



「【無垢白鷺の籠手イノセンス・解放】」



吠え面、かかせてやる。







イノセンスの解放に際し、注意すべき点が3つある。

1つ目は場所、これは近接武器ながらも射程距離が広いことにある。

基本的なコンセプトとしては一対一を想定して作られてはいるが多種多様な戦術により中距離どころか遠距離への攻撃も可能になるからである。

しかし、それを行ってしまうと対象並びにその周辺に被害を与えてしまう可能性がある。

その為、私はイノセンスを拒界でのみでしか使用しないことにしている。

2つ目は間合い。

先ほど言った通り、イノセンスは使い様によっては中・遠距離への攻撃をも可能とする万能兵器だ。

その代償として、イノセンスは解放し発動するまでの時間が長い。

遠すぎれば問題無し、しかし、対象との距離が近すぎればイノセンスは発動できない(物理的な意味で発動はできるが、真価を発揮することができるのかは別の話である)。

だが、幸運にも彼女は待っている、私が次に何をするのか、邪気に染まった笑顔で見ている。

3つ目は能力。

イノセンスには所有者(つまり私)の”気”を吸収し、力に変えるという能力を持っている。

イノセンスに秘められた力の象徴、それは”蝶々”。

花満ちる野原をヒラヒラと舞い、子供と戯れている様な、むしろ平和の象徴のような昆虫だ。

実際は、そうなのだ。

しかし、これは”芸術兵器”だ。

「(”美しいものが力を有する世界”)」



そう――――。



「美しい者が勝つ」

刹那、右腕が閃く。

白銀に似た光が私の周囲を埋め尽くし、小さな無数の塊となって形を変えていく。

その一つ一つが宝石のような輝きを放ち、世界を華美なものとする。

しかしその美しさは銀幕のベールによって包まれたものにすぎない。

「うわー、キレイ♪」

獏羅が感嘆の声を上げている。そんなに余裕?

光全てが形となるまで3秒と掛からなかった。

私の感情の昂りを察知し、故に今のイノセンスは暴食だ。

眼下を占める無数の蝶達。

彼らを包む光こそ白銀なれど、それらは全て青と赤の二色で全身を染めている。

「さて、先に言っておいてあげる」

私はフェアプレイを好む。

その為、私のイノセンスの能力を知らせないまま戦ったりはしない。

”戦士”としてのプライドがそれを許さないのだ。

「彼らは”移動する時限爆弾”のようなもの、私の意のままに起爆させられるの。彼らは私のために命を投げ出してくれる、勇敢な英雄ってわけ」

見渡す限り、一面の銀世界。

それを構成する一匹一匹の蝶達が私の一任で儚く命を爆ぜ散らすのだ。

命が散る時ほど、生命が輝く瞬間など無い。

生きている時間などその輝きに艶を出すためだけの過程に過ぎないし、それがどれだけ少ない時間だとしても死した後はその余韻に浸ることができる。

「(アナタの輝きはどの程度のものかしらね?)」

蝶が一斉に羽ばたいた。











不思議な光景だった。

夥しい数の蝶達は各々の使命に突き動かされるように私――――【獏羅 香織】に迫り来る。

しかし、果たして彼らに意志はあるのだろうか。

私には無限にも上る”空っぽの器”が宙を舞っているようにしかない。

空っぽ、彼らに”生命”は宿っていない。

それを天下は、彼らに生命があるかのように言ったため見解に差異が生じたのだ。

彼女はテレパシー、アイコンタクト、以心伝心のような目に見えぬ力で蝶達を操っているということだ。

よく観察すると、視界一面に広がる蝶達の進行方向は曖昧だ。

大半が一直線に私に向かう者、しかし中には地面に飛び立たないまま止まっていたり、天下の周りを舞っていたりもする。

そして、蝶達には青と赤の二種類いる。

その中でも青の数が爆発的に多いのが気になるところだが、今は冷静に眺めている暇は無っ――――。

「ウソッ!?」

視界の片隅を白い光が掠めたのだ。

反射的に後方へ飛び退き―――。

刹那、爆音が轟く。

「なん・・・・で?」

背中で何かが――いや、確実に天下の蝶が爆発した。

皮膚の焼ける臭いが漂い始め、傷が浅くないこと、そして爆発の規模を知ると私は立ち上がる。

「(この蝶・・・全く気配がない)」

蝶の接近は視認できた、しかし予想外だったのはそのスピードだった。

花畑をヒラヒラなどという蝶の規格を逸脱した格外の速さだ。

恐らく戦闘機並みのスピードだが、そんなものが何千匹もいるとなると話は別だ。

生命というものは無いが、彼らは独立した”役割”に近いものを持っている。

そうでなければコンピュータでもない天下が一つ一つを操作しきれるはずが無い。

「(なら・・・何に反応しているの?)」

今や視界一面が蝶に・・・光に染まろうとしている。

もう、一匹さえも見逃すことはできない。

「女の子だもんね、首から上は見逃してあげるわ」

視界の一番奥で天下が微笑む。

「まさか―――」

振り向き様に真横へ飛び退く。

先ほどまで私がいた空間で爆発が起き、同時に羽のざわめきが大きくなった。

「(私はバカだ―――さっき後ろにいたじゃん!!)」

などと反省している暇も無い。

弾丸のように蝶達は迫り、飛び退き逃げ続ける私を追い詰めようと、さらに速度を上げてくる。

「これは――――」

蝶達を掻い潜る内に何となくだが分かったことがある。

彼らは”私の移動”に関しのみ敏感なのだ。

故に私が動かなければゆっくりとしたスピードで近付き、私が移動すれば爆発的な推進力で追いつこうとする。

「自動追尾・・・・」

彼らに気配が無く、単純でしかない追跡は彼らが天下の”気”の産物であるからではないのか。 故に、恐らく彼らは私の”気”を追っている。

”餌”を求めるのは動物の本能であり、彼らに生命が宿っていないこととは別に蝶という姿である以上、蜜を求めるのは当然ではないだろうか。

彼らはまだまだ成長したい・・・生きたいのだ。

その生存意志が彼らを突き動かし、仲間のために死をも厭わぬ物質に成り変わらせたのだろう。

命無き者に役割を持たせ、意志を形作る兵器。

それが【無垢白鷺の籠手イノセンス】の力ではないのだろうか。

仮にこの推測が正解だったとして、それなら勝機がある。

何故なら彼らは天下の意志によってでしか起爆できないからだ。

本当に彼らの内で”仲間”という考えが存在しているならば、自動追尾などという億劫な追跡手段を用いず、自らの意志で私に迫る筈だ。

それが起爆という”死”を受け入れることができぬ者だとしても。

やはり、形作られた意志は偽りのものでしかない。

所詮は偶像、作られたもの。

命など作り出せるものではないのだ。









「(速さは私の方が格段に上の筈・・・)」

気を脚部に集束し、拳を作る。

もしかすると私は”化け物”なのかもしれない、それは最近ふと思うこと。

恐怖を感じると力が溢れてくる。

絶望を感じると力が溢れてくる。

つまり、レンレイに負ける度、強くなっている。

特に最近の戦いは圧倒的な武力差で敗北している。

恐怖を、絶望を喰って成長する化け物。

何となくレンレイが言う”夢魔”を彷彿とさせたが、私は”まだ”そこまで強くない。

強くなる、これから。

「強くなるんだ」

強く自分に訴えかけると、自信が溢れてくる。

私にとって自身とは、自分の”怖い物知らず”を躍進させるドラッグにしか過ぎない。

でも、そんなものに”過ぎない”ものでも、今の私には大きな武器に思えた。

「ふぅ」

小さく息を吐く。

目前に迫る、壮観とさえ思える光の世界。

私は地を蹴り、その世界に突入する。

光の縫い目を縫うように、縫い毀れが無いように。

私は笑って突き進む。

そして視界が開けた時、驚愕の表情の天下の腹部に最速の一打を叩き込む。





―――――DANAE……











なんちって♪











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