この国・・・日本の語られることの無い裏の歴史【裏の大戦争one summer days】。

およそ700年程前の夏、夢魔とそれを狩る者達による戦争を記した文献である。

・・・と、説明するだけならば一言なのだが、この裏の大戦争を”語る”には少々時間を労する。

戦国の世と称される以前の頃、南北朝・安土桃山時代。

応仁の乱の後、各地から戦国大名、大村純忠を始めとするキリシタン大名が名乗りを上げてきた。

幕府は権威消失・財政軍事基盤の弱さによって、今や崩壊寸前といわれる状態となっていた。

そして、そのギリギリの均衡を物の見事に破ったのが現代でも”魔王”と称される織田信長である。

この頃から”夢魔”という存在は裏の世界では表立っており、それを狩る”夢魔狩り”達も然りである。

美に惚れ込み力を得た信長は足利義昭を追放することで世に出でた。

それを支えたのが当時フランシスコ=ザビエルが持ち込んだ芸術兵器【絶対不可視の大鐘楼インビジブル】である。

絶対不可視の大鐘楼は裏の大戦争の中で最も高位な物として、その力は森羅万象を手にするとまで記されていた。

そんな力が蔓延る中、表上の戦国時代は応仁の乱にて幕開け、裏の歴史が紡ぎだされ始めたのである。



しかしそれは歴史の微々たるものに過ぎず、本質はむしろ名では明かされぬ者達が握っていたといっても過言ではない。

歴史に残ることの無い大戦を繰り広げ、その度に芸術に魅入られ、夢を削っていった。

日本中に夢魔が犇き、夢を失われずに済んだ夢魔狩り達によって討滅されるまでを記したもの。

それが”本当の歴史の1つ”【ある夏の日の出来事one summer days】なのである。

世に明かされぬ夢魔達の終わることなき戦いの一時的な終焉。

その活劇に幕を下ろしたのが大戦士【φファイ】と鬼の少年である。









そして今、その幕引きの戦士は再び裏の歴史へ出でんとしている。

人目に晒される事の無い無意味な戦いに今一度その足を踏み入れようとしている。

気付かぬ者が愚かなのか、気付かせぬ者が愚かなのか。

本当はどちらでもない。

選択肢を持たないということが愚かなのだ。

戦士は戦士であるしかない。

戦士はただ考えず、指揮者コンダクター指揮棒タクトに従い、ラッパを吹き鳴らせばいいのだ。

そして楽譜が揃った時、奏でてやろうじゃないか【ある夏の日の再来one summer days agains】を。

表の歴史に名を刻んでやろうじゃないか。

「その為にも今は楽譜を集めなくては――――ね?」

誰に問いかけたわけでもない、しかし、ここにいるただ1人の存在は自身に話しかけられたと錯覚し、恐らくそれを自覚しながらも―――

「えぇ、団長」

俺の名と共に同意する。

俺を知る者は皆、俺を【団長】と呼ぶ。

だから呼びかけに答えた彼女――――【天下】も俺のことを団長と呼んでいる。

「我が【無垢白鷺の籠手イノセンス】で世界を牛耳るためにも」

自信に満ち、自身の弱さを自覚した者だけが出せる強者の響き。

艶麗かつ雅やかな容姿に、豹を髣髴とさせる無駄の無い体躯。

全身を身体にフィットした漆黒のスーツで包み、右肘から下にかけてのみ純白色のアーマーが備え付けられている。

皮手袋の様な形状のアーマーは白露のように透き通った白さを持ちながら、それ自身が生命を感じさせる力強さと美しさを持っていた。

「しかし、宜しかったのですか?」

瞳を閉じ、表情には出さなくともその声音は焦りを帯びていた。

「何が、かな」

伴奏プロローグが速すぎではないでしょうか。我らの計画ではφの介入はまだ先のはずだったのでは?」

「我らが奏でるのは常動曲などではない。繰り返す歴史カノンなのだ。日々変化し続けてもらわねば困るのだよ。分かったなら――――」

「【ゲルニカ】の無力化。それなくして【ある夏の日の再来】は在りえない」

気配は影に溶け、天下は消えた。

そう―――――在りえないのだ。

この物語の中で【団長】と【天下】が持つ役割など――――











「・・・・ふぅ」

額を流れ、首筋から落ちる汗を手首で一気に拭い、私は一息ついた。

夏場に引越しというものはするべきでないと思う。

何が悲しくてクーラーも扇風機も無い部屋で箱詰めされた日用品を整理しなくてはならないのだ。

いや、まぁ、それが引越しってやつだけどさ。

ここは東京千代田区に位置するアパート”椿山荘”。

外観以上に大きなこのアパートで、私が借りたのは3LDKと1人暮らしをするには広すぎる2階の1室。

近くの公園を抜けると私が通うことになる私立一ツ橋大付属高校はすぐそこにあるらしく、駅も近い。

そして、これ以上無い立地条件の割に安い家賃に惹かれ、私がこの地にやってきたのは最早必然のようなものだ。

それにしても暑いね、窓でも開けようか・・・・閉めてたのかよっ、そりゃ暑いわ!

2階。

前に住んでた一戸建てにも確かにそれは存在したが、今は状況が違う。

1人で見渡すことができる、いつも見ているものより1つだけ高くなった私の新しい世界。

この大都会東京の中、私はたった1人、少し寂しい。

でも、成績ばかり気にする両親の束縛から解き放たれ、泣くことも許されなかった家系の呪縛から解放され、私はついに自由だ。

私――――【大村 アヤメ】の人生は前途多難だった。

男女平等の精神を頑なに守る父は女であり娘である私に対して、やはり厳しかった。

父の教育に反対しない母を何度憎んだことか。

多難でない人生など在りはしない、そんなことは分かってる。

しかし、他人が私のことをどう見ようと、私は今まで十分すぎる苦汁を舐めてきた。

「16年・・・・長かったなぁ」

窓から見渡す景色は視界に納まりきらないほど広く、光に満ちていた。

「私は―――自由なんだ」

言葉と共に胸の奥が熱くなった。

目から汗が流れちゃうぐらい、暑い熱い夏真っ盛り。

窓から離れ、汗を拭い、山積みされた荷物に向き直る。





まだ日は高い。

暗くなる前に自分の寝るスペースぐらいは確保しなくては・・・。

自分の部屋を除いて、この部屋にまだ余分なスペースは2つある。

しかし、引越し屋さんは何と玄関へ出る道を大量の荷物で封鎖してしまったのだ。

よって私が移動できるのは台所のあるリビングとすでにダンボールの戦場と化した部屋のみ・・・・って。

「冷静に言ってる場合じゃないし」

私以外に誰かいるわけでもないので取り合えず持ってきた熊の巨大ヌイグルミ”エリザベス”に冷静にツッコミを入れる。

清清しい気持ちで「私は自由だ」などと謳っている場合ではなったのだ。

このままでは私は部屋から出れずに餓死してしまう。

「まぁ、窓から出ればいいんだけどさ」

純な女の子がそんなはしたない事をしていいのかどうかは別だけど。

とにかく、エリザベスをどかそう・・・邪魔になって仕方が無い。

まだ開いていない中で重要なものは沢山ある、部屋の装飾品は後回しだ。

――――など思った時である。





ミシッ





足元で、何か嫌な音がした。













夏風邪は怖い。

夏の暑さに負け、腹を出して寝るものではないとつくづく思う。

俺―――【神谷 幸村】は、氷枕と、口に温度計を突っ込んだ古典的なスタイルでダウンしている。

38度5分と完璧な風邪で寒気はするわ、身体の節々は痛いわで眠気すら起きない。

風邪ということもあり、今日は学校を休んでいる。

今まで皆勤賞だっただけにこの休みは悔やまれるが、致し方ないことだ。

今、我が家のお姫様こと【ゲルニカ】は俺の風邪が移らないように隣人のφの家へ預け、我が家の女王様こと【薫】さんは危なっかしい手付きで俺の夕食を作っている。

薫さんが夕食を作り上げるまでの間、俺は眠ることも許されず(一方的に許していないだけだが)に、ただ天井を眺めているばかり。

後頭部を冷やす氷枕のリアルな感触だけが俺に安らぎを与えてくれる。

それ以外はただの辛酸に過ぎない。

睡魔も夢魔も襲ってこぬ今、どうやってこの辛酸を紛らわそうか。

ふと俺は天井にぶら下がった照明を凝視する。

僅かにぼやけて見える。



あれは俺がこの部屋に入居する前のことだ。



前々から話は聞いていた。

この部屋と、その真上の部屋の家賃だけは他の部屋と比べ格段に安いらしい。

”どうやってそこまでの経緯に至ったか”は謎だが、穴が開いていると言うのだ。

人ひとりが楽に通れるほど大きな穴・・・・それも横穴ではなく、”縦”だ。

今は板でカムフラージュされているようだから心配することも無い。

それにここ何年間、2階に引越ししてきた者もいないという。

しかし、寒気は止まらない。

先ほどから、この真上の部屋(即ち例の部屋)が騒がしいのだ。

いや、都会の車道とか、学校の購買などとは比にもならないぐらい静かなものだがバタバタと人の歩く気配がする。

最初は薫さんだと思い無視していたが、そうでも無さそうなのである。

さぁ、寒気は止まらない。

嫌な予感というものは的中するのが相場である。

――――などと思った時である。





ミシッ





ちょうど照明が吊ってある天井が、何故か悲鳴を上げた。







「・・・・・・・・へ?」

俺にしては情けない声を上げたかもしれない。

しかし、風邪なんだ、許容範囲ってやつさ。

次の瞬間、鈍い音と共に比喩無しで視界が黒に染まった。






























夏風邪が流行っているようだ。

あの化け物が休むぐらい、とてつもないものが。

それなのに自分が元気ということに多少の優越感に浸りつつ過ごした一日。

部活に所属していない私は特別何か用事があるわけでもなく、喧騒激しい駅前をブラついていた。

私――――【獏羅 香織】はあの”緑の葉”の事件以降、おかしくなってしまったようだ。

風を肌で感じられるようになった。

目を凝らせば見える筈の無い、空気の流れを見ることが出来た。

いや、本質はこんな所で停滞などしてはならない。

レンレイの放つ烈火の一撃は毎回、私の心を打ち砕いては変化させてくれる。

爽快だ。

そう、私は今、一種の異常気象のようなものだ。

地面がひび割れるほどの晴天の中、何故か獰猛な嵐が私の身を打っている。

矛盾している、しかし、それが世界の全てに思えた。

「この年で悟っちゃった?」

まぁ、私ぐらい特別な環境に身を浸していれば神の摂理ぐらい悟りもするのかもしれない。

風は驚くほどに静かだ。

周りの喧騒が嘘のように、澄んでいる。

ただ一箇所を除いて、だが。

「何か用?」

私の隣りを通過した若い会社員さんは怪訝な顔をして去り、その一箇所に佇んでいた者はピクリと僅かだが揺らいだ。

空気の流れで分かる、”それ”は確実に動揺していた。

そして、同時に――――





私の世界はズレた。








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